20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

『天使のナイフ』薬丸岳 -読書感想文-

私が読書を好む理由は
「学びを得られる」「他人の人生を擬似体験できる」
という二点に尽きるのだけれど

この擬似体験という点において、たった一冊でここまで読者に様々な人間の内面を体験させてくれる作家はそういないのではないか。

前回読んだ同作者の『神の子』がとても良かったので
手に取ったこちらのデビュー作

神の子と同様に、こちらの作品も
「少年犯罪と更生・贖罪」がテーマである

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ある日突然、面識の無い中学生の少年達に妻を殺され、幼い娘が生きていた事だけを心の支えとしている男性の視点で物語は進む

被害者である自分はマスコミに名前や顔や職場までが晒され
世間から心無い中傷を浴び
妻は二度と子どもを自身の手で抱く事も
成長を見守る事も出来なくなった 

それなのに、自分達を地獄に落とした少年達は
少年法」によって個人情報が守られ
「更生」の名のもとに人権擁護派の大人から
未来をやり直す権利が与えられる

様々なものが守られ
被害者の無念や被害者遺族の慟哭を知る事もなく
生きて行く道が保証される少年達は
果たして本当に他者の命を奪った罪の重さを理解する事が出来るのか

ましてや「少年法」を逆手に取り
未来が保証される事を理解した上で犯罪を犯している少年達に
更生の機会を与える事は本当に個人や社会にとって意義のある事なのか

自分の犯した罪やその当事者から少年を遠ざける事は
真の更生や贖罪からも遠ざける事に他ならないのではないか

更生教育とはどうあるべきか
真の更生とは何なのか
罪を償うとはどういう事なのか

少年法の権利と更生の在り方
更生の理念でもある少年が罪を犯してしまう背景
罪と密接に関わる贖罪

それらについて、この作品は
被害者と加害者の心情や犯罪の経緯を様々な角度から照らし
読者に両者の視点の擬似体験をもたらしてくれる。 

本当は立ち止まってしっかりと考えなければならない事であっても
日々に追われ、当事者や専門家でもない限りは時間と共に忘れてゆく物事に対して
その場にずっと立ち止まり更生と贖罪について考え続けた作者の信念は
さながらルポライターのようでもある

このような物語の綴り方をする作家は
私の数少ない読書知識の中では天童荒太氏という作家が群を抜いていおり
私は、天童氏の人物像の掘り下げ方や一つの問題に対して読み手が心配になるほど真摯に向き合う姿勢は唯一無二のものであると感じていたのだけれど
これからは、そこに薬丸岳氏も加わる事となる気がする。 

【余談】
こちらの作品は江戸川乱歩賞受賞作なのですが巻末にその賞の経緯と選考委員の書評が載っています。しかも本作だけでなく最終選考に残った5作品の書評が書かれています
それが大変興味深かったです。

16歳の頃、嘘をついてアルバイトの面接を受けた思い出

不登校になった私が17歳で高校を退学し、フリーターに転身した頃のお話を少し・・・
正確には17歳になる年の夏に退学したので、まだ16歳だった頃の思い出です。

学校に行かない道を選択し、もう学校も辞めるつもりだし、さて何をしようかな、とりあえず学校行かないなら働かなくちゃな、と。

接客業に興味があったので
初めてのアルバイトはハードルの低そうなコンビニに希望を絞り
様々な所に電話をかけたり、履歴書を持参して直接店舗を訪ねては
「アルバイトの募集はされていませんか?」と、飛び込みで伺ったりしていました

こうして文章にして改めて思いますが、あの頃の自分は結構勇気があったのですね

当時、アルバイトの応募年齢の下限は18才が基本だった為、16歳の少女を雇用してくれる所など皆無に等しく、年齢を言っただけで門前払いを何度も食らいました。

さて困り果てた私、当時仲の良かった少し年上のフリーターのお友達に相談したところ
「年齢を水増しして誤魔化せばいいよ」という悪知恵を授けていただき「なるほど!」と納得

さっそく生年月日を1歳ほど水増しして
「現在は17歳なのですが、もうすぐ18歳になります・・・。」
という、すごく曖昧な設定で面接のアポを取ってみました
出来るだけ年齢を水増しせず、曖昧な表現にすることで、少しでも嘘をついている事への罪悪感を減らしたかったのでしょうね。

しかしながら、その嘘が功を奏し
なんと、今まで全滅だった面接のアポイントが驚くほど簡単に取れたのです
私はその瞬間嘘をついていた罪悪感など忘れ去り、内心ガッツポーズ!

人生において、最初で最後の年齢詐称をして面接に臨んだ場所は

『ローソン同心二丁目店』

今はもう無くなってしまった、大阪環状線JR桜ノ宮駅にあったコンビニでした

当時の私は、大阪の中心部からほど近く帝国ホテルが眼前にそびえ立ち春には川沿いが満開の桜で華やぐ桜ノ宮という場所に強い憧れを抱いていました。

「あの場所が職場だったら、なんかカッコイイなあ。何の仕事でもいいから、もし働くならあの場所で働いてみたいなぁ」と思っていました。

そのコンビニは時給がとても安く、そのうえ定期券が月1万円を越えるにもかかわらず
当然ながら「交通費支給無し」という条件であったため、今では絶対に受けないバイトですが

憧れと経験値の低さと、そして何よりも
今まで幾度となく門前払いされ続けてきた中で
初めて面接を承諾して貰えたという嬉しさから
迷う事無くローソン同心二丁目店へ面接を受けに行きました、

意気込んだ面接では、様々な事を話し
割とお話も盛り上がった為
初めての社会への第一歩に手ごたえを感じたのを覚えています。

と、ここまでは順調だったのですが・・・

最後に店長からさり気なく身分証明証を掲示するよう求められました。

緊張と興奮で年齢詐称をしている事をすっかり忘れていた私は
何の躊躇いも無く笑顔で身分証明証を差し出しました。

その場で店長は何も言いませんでしたが
今思えば、採用が決まってからならまだしも、面接の時点で身分証明証の提示なんて後にも先にもこれが最後だった気がするので、よっぽど怪しまれていたのでしょうね(笑)
 
そして、面接の帰り道で
ようやくこの重大なミスに気付きました

あの瞬間は忘れもしません
面接時に「あなたの長所は何ですか?」という質問に対して
「嘘をつくのが苦手な事です」と述べた自分を渾身の力で殴りたい衝動に駆られました。
 
そして翌日、バイトの採用合否のお電話を頂く前に
自らローソン同心二丁目店に電話をかけ
年齢について嘘をついた事を謝罪し
アルバイト希望を辞退させていただくという旨を告げて電話を切りました。

せっかくのチャンスだったけど、
自業自得だと自分に言い聞かせました


しかしその数分後、店長から折り返しお電話があり

「あなたの正直で誠実な所が気に入りました、年齢は規定の範囲外ですが採用させていただきたいと思います。」

と・・・

思わぬ嬉しい展開に文字通り飛び上がりました。

この様な経緯で、16歳だった私の社会への第一歩はとても思い出深いものとなりました。


大人になり、バイトを辞めて以降も『ローソン同心二丁目店』には近くを通ったら必ず様子を見に行っていたのですが、大阪の中心部からほど近い桜ノ宮には近隣にファミリーマートセブンイレブンが立ち並び

私の生まれて初めてのバイト先は、競争に敗れ廃業に追い込まれてしまいました。


しかし、嘘をついた私を大きな器で受け入れてくださり、初めて社会に出た世間知らずの私を一から育てて下さった

『ローソン同心二丁目店』は

こうして私の記憶の中で永遠に生き続けるだろうと思います

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【追記】

桜ノ宮のローソンでアルバイトをしていた頃、近くに『IMAGICA(イマジカ)』という会社がありました、映画やテレビの映像編集技術を提供されている大きな会社です。

IMAGICA - Wikipedia

大阪の都市部で働くという憧れを達成した私は、いつもコンビニのラッシュ帯である正午~13時より少し外れた時間帯に、IMAGICAの社員証を首から下げてのんびりと買い物にいらしていた女性に次の憧れを抱くようになります。

「この人は決められたお昼休みの時間じゃなくて、自由に休憩を取れるお仕事なんだなぁ、そういうのが認められるお仕事もあるんだなぁ。女性だけどバリバリ働いてるんだなぁ、社員証を首から下げてるのかっこいいなぁ。IMAGICAってどんな事をしている会社なのかなぁ。」

今でも、邦画のエンドクレジットに必ず上がってくる『IMAGICA』の文字を見るたびに、あの女性の姿とその当時の気持ちを思い出します。

IMAGICAは私にはハードルが高すぎたけれど、この様な漠然とした思いを抱きながら、社員証を首から下げて自由な時間に休憩が取れるIT企業に正社員として就職したのは、ここから更に6年後のお話。

初めましての人へ -プロフィール・不登校以降の人生概要-

 初めまして、みつまりと申します

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ブログ上でなんやゆーたらすぐこれ使うみつまりです、あ、自画像です

ブログを移設いたしましたので、これを機に初めて当ブログをご覧になる方へ向けての記事を書きたいと思います。

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教えて貰えなかった内観療法の結果を20年越しに母親に聞いてみた

 

こんばんは、23年くらい前に不登校だったみつまりです。

以前不登校になったら親に内観療法という心理療法に連れて行かれたという体験談を書きました。

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年末年始・お正月にお祝いムードな気分になれない人へ -「めでたいから祝え」という謎の圧力-

 

みつまりですこんばんは
本日は情報提供の為に参上しました。

こちらのブログの趣旨から若干逸れますが、今日はざっくりと「年末年始・お正月にお祝いムードな気分になれない人」への記事とさせていただきます。

年末年始と言いますと、学校は休みになり仕事も年末で一旦片付き帰省ラッシュが始まり、スーパーには高級な食材が並びそれを大量に購入する人たちで溢れ、何となく心はやる時期かと思います。

ただ、12月が1月になり2017年が2018年になるだけで本当は普段とさして変わらないのですが、何だか社会全体が「めでたいから祝え」と無言の圧力を加えてくる時期です。

この様な「社会全体の人が似たような事をする」的な時期って
単身生活者や貧困な環境に置かれている人にとっては
より一層孤独を感じやすい時期でもあります。

私が昔働いていた、とある福祉事業所には40代50代の単身生活者が割といらっしゃり、その中には、身内はご存命でも連絡を取っていないという人も少なくありませんでした。

なので、お正月は一人で過ごすという人も多かったです。

その人達に「お正月は何をして過ごされる予定ですか?」と聞いたら
『いつも通りコンビニの弁当を食べるだけ。』という答えが返ってきました

それが幸か不幸か良いとか悪いとか、その人がどう思っているのかという話ではなく、そういう人もいるよっていうお話。

私も小さい頃こそ盆正月には親戚で集まるのが好きな子供だったけれど
今では盆正月になると「帰省しなければならない」というプレッシャーで具合が悪くなります。

その事に関しては↓こちらの記事にチラッと書きました。

ですので、先述した人から話を聞いた時の個人的な感想としては
「ああ、なんだお正月一人で過ごす人って結構いるんだなー」と思ってちょっと嬉しくて

その事を知った年のお正月は、お正月らしい事は特にしませんでしたがとても心穏やかに過ごせました。

どのような境遇であれ「自分一人だけじゃない」という事は、本当に心強いものなのだと感じた次第です。

私の一人語りはこの辺までにして
以下、情報提供ですご査収ください。

 

「ひとり」にならざるを得なかった…ひきこもり当事者が恐れた「金銭問題」

【記事内引用】

「できる限りお金を使わないように、電気をまめに消したりとか、お風呂に1週間入らなかったりしたこともありました。今考えれば数円しか変わらないところに当時はとても執着していました。そうすることで、自分の寿命が1日でも延びるような気がしていました」(平野さん)

news.yahoo.co.jp

 

湯浅誠さん

【記事内引用】 

――当事者が主体となる意義とは

やはり同じような当事者にもたらすインパクトが違います。例えば私が当事者の方に「できますよ」と言っても、「そうは言っても、私たちとは違うんでしょ」という風に思われるでしょう。

 

 

「普通」「普通じゃない」の構造が変わらない限り、世の中が多様化すればするほど、生きづらい人が増えていくことになります。いずれも等価であるという価値観が生まれることが理想です。

withnews.jp

湯浅誠さんは、福祉と切り離せない貧困の問題について深い見識があり
貧困や貧困が及ぼす子どもへの影響、ひきこもり、生活保護
様々な社会的孤立についての研究と支援を行っていらっしゃいます

ちなみに先ほど述べた単身生活者の中には生活保護を受給しながら生活している方も多くいらっしゃいました(だから生活保護受給者=可哀想とか孤独とか言う訳ではありません)

見出しにするほどよく知ってる訳ではないのですが、とにかく私の周囲の福祉の人達から回ってくる情報の中で普段から頻繁に目にする人物です。

湯浅誠さんのFacebookページは↓こちらです(誰でも見れます)

 

本日は以上です。

『神の子』 薬丸岳 の感想文とサウジアラビア時間(作品とは無関係です)

不登校児のみつまりですどうもこんばんは、全然投稿しないのに久々の投稿が感想文ですみません。

一応、不登校ブログらしい事を少し書くとするならば・・・

私はこちらのブログで何度も『元不登校』と自己紹介しておりますが、なにぶんもう年齢が30代後半でして、義務教育が終わっちゃったものですから不登校に元と付けるしか無いだけで、今「義務教育を受けろ」と言われても多分私は学校には行かないと思います。

ですので気持ち的には現役の不登校です。

一般的な30代後半女性というと、自分ではなく自分の子どもが学校行く行かないで悩む年齢だと思います。

私には子どもはいませんが、恐らく私は世代的に言うと、このブログを見に来てくださっている貴方のお母さんと同じくらいの年代か、もしくはお子さんが不登校で「うーーん」となっている貴方と同じくらいの年齢です。

来年引退すると宣言された安室奈美恵さんが全盛期だった時代に「アムラー」だった世代です、私はノンアムラーでしたけど。

そんな子どもいない一応仕事はしている30代後半の私は今日一体何をしていたかと言いますと、朝7時位に少し起きて即二度寝して15時に起きてそこから一日中本を読んで過ごしていました。

いやね、今日は平日ですけどたまたま仕事がお休みだったんですよ、休みの日は大体サウジアラビア時間で過ごしてますので現在(午前2時)の体感は大体16時位ですね。

サウジアラビア時間というのは端的に言うと不登校や引きこもりの人なりがちあるあるの「昼夜逆転」の事なのですが、こちらのブログではっていうか私はそれを『サウジアラビア時間で生活している。』と呼んでいます。「サウジアラビア 時差」とかで検索すると意味が分かると思います。

昼夜逆転」ってなんかもう不登校とか引きこもりの問題行動の代名詞みたいになってて凄い悪いことしてるみたいじゃないですか。でも「サウジアラビア時間で生活してるんだな」と思えば、ああ、なんか生活してるんだなってなるでしょ?え?ならない?そうですか、本当に有難うございます。

よく分からない小噺が一段落いたしましたので、以下、感想文です。

 

『神の子』 薬丸岳

「生まれてこなければよかった」
「出会わなければよかった」
ハードカバーの帯にでかでかと書かれていた一文に惹かれて購入。

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生まれてこなければよかった
人はなぜ生まれ死ぬまで生き続けなければならないのか
そのような想いの根源には
「孤独」や「絶望」が潜む。

そして、その対極にある
この世に生まれて良かった
生きていて良かった
その想いを生む源は大抵
「他者との繋がり」「希望」である。

人の心はとても複雑なもので

虐待、欺き、裏切り、暴力、殺人
この様な俯瞰で見れば凄惨な事柄も、事を起こした人間の内側を紐解いて見れば、信頼や他者との繋がりに希望を見出した末に行われる行為である場合も少なくない

孤独と繋がり
信頼と裏切り
絶望と希望
対極に見えるこれらは全て表裏一体
光と影の関係である

孤独の渦中にいる他者に仲間の顔をして近付き、信頼関係を結び、希望を持たせて利用する。

自分を絶望からすくい上げてくれた人の望んでいる事が、他者の破滅であった、だからそれに加担した。

この様に
「影に光を当てて更なる影を作る」
などという事を平然とやってのける人もいれば
その関係性に陥り全てを棒にふる人もいる

ただ、そこから生まれた更なる絶望や不信感を癒すのもまた、人との関わりから生まれる信頼であったり温かさであったりもする。

これはあくまで壮大なフィクションであり
私は勿論この作中の様な経験はした事が無い

なので、こんな事を言うのは自分に酔っているさまを晒す様で気がひけるのだけれど

孤独や絶望、人との繋がりの温かさ
そのどちらにも触れた事のある人なら
この作品には心を動かされるものがあるのではないか

滅多にない事なのだけれど
数年に一度、読みながら思わず泣いてしまう程
揺り動かされる作品に出会う事があり
そんな本に出会った時は本当に嬉しくなる

この作品は、私にとってそんな一冊でした。

 

 

『コンビニ人間』村田沙耶香 - 社会不適合者の内側から見た景色 -

23年前不登校を生業としていたみつまりですどうもこんばんは。

本日は、表題『コンビニ人間』の感想を記事とさせていただきます。


これです

この本は、社会の多数派になれない女性と男性、両方の視点を通して現代社会を描いた作品です。

不登校・ひきこもり・ニート・対人関係が苦手・トランスジェンダー・障害等、社会から「異質なもの」として視線を向けられた・向けられそうだと感じながら回避してきた経験のある人は、少なからず共感できる部分があるのではないでしょうか。

世間で言われるところのいわゆる社会不適合者を誇張して、文学に昇華させた作品ですのでとても読みやすいのですが、描写が中々容赦ないです。

特に私は著者・作中の主人公とちょうど同い年で境遇や考え方もよく似ている為、良いんだか悪いんだか非常に引き込まれました。お読みになる際はご注意ください。

コンビニ人間』村田沙耶華 

多様な社会
個性を認める
ありのままの他者を受け入れる

なんていうキーワードを最近良く耳にするけれど
これには大きな矛盾がある

揺るぎない暗黙の了解として、枕詞に
「常識の範囲内で」が付くから

そして、この枕詞の範疇から溢れる人の
「ありのままの個性」は
周囲から矯正を強いられ
更生のレールを敷かれ
矯正がままならなければ
あっさり排除される

排除された個性は、時にカリスマ性を生む事もあれば、個人の命を奪う事もある

コンビニ人間
RADWIMPSの楽曲『棒人間』を想起させた

以下『棒人間』歌詞引用
----------------
「僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです

(中略)

何度も諦めたつもりでも人間でありたいのです」
----------------

生き辛さを抱えた棒人間は、最後の最後に
「それでも僕は人間でありたい」と主張する


けれど

コンビニ人間
「コンビニでありたい」のです


いつだったか、側溝に侵入し
人を覗き見していた人が逮捕された時
その人は
「生まれ変わったら道になりたい」
と述べたという

コンビニなのに、道なのに
人間を強いられて
人間と同じ生き方をしろと言われ
さぞかし大変な思いをしたのだろう

コンビニ人間も、道になりたい人も
人間の形で生まれて来なければ
心穏やかに社会に馴染めていたのかもしれない

今はまだ、世界はそういう風にできているから。

誰も「ネットそのもの」の悪口を言わなくなった

情報処理の専門学校に在籍していた当時
インターネットが世間に普及し始めていたものの、まだまだ『ネット=アンダーグラウンド=オタク』というイメージが強かった時代
スマホはもちろん、今のようにネットで気軽に物が買えるようなシステムもなかった時代

同級生の優秀な子が「DVDをレンタルする時代はそのうち終わると思う、ネット経由で映画をダウンロードしたりテレビで映画を再生できる時代が来るよ」
と話していて

そんな大容量の映画をネットで?
しかもテレビで観られるなんて、そんな時代が来たら本当に凄いなぁ

なんて思っていたあの頃から15年
あっという間にそんな時代になってしまった
しかも持ち歩けて外出先でも視聴出来る。

 

数日前、ツイッターを介した殺人事件が
大きなニュースとして報道されていた

 

昔なら、ネット絡みの事件が起きる度に
「これだからインターネットは危険」
「ネットをしてる人には危ない人が多い」
「やらない方が良い」
みたいなズレた意見がニュースと同じボリュームで聞こえて来ていたのだけれど、今回はそんな気配はほぼ無い

 

今、無料でPCやスマホから誰でも視聴出来る「一般ユーザー向けのインターネットTV」の台頭が始まっていて、その先駆けとも言えるAbemaTVでは、元SMAPの3人が出演する72時間生放送のネット配信がただ今絶賛放送中

 

誰も「ネットそのもの」の悪口を言わなくなった


そりゃ、莫大なお金を生むものの悪口は言わないよなぁ

 

このまま、アンダーグラウンドだったものがメインストリームになってしまうのかなぁ

 

「凄いなぁ」と「少し残念だなぁ」が私の中に共存している。

 

ちなみに、ツイッター上では今回の事件が報道されてもなお
「#死にたい、#自殺募集、#一緒に死んでくれる人、#殺してくれる人」
というタグを付けて発言をする人で溢れている。

人形を椅子に座らせるより、海老原君をブランコに座らせる方が何倍も楽しかった。

シルバニアファミリーを見ると思い出す
これ、あんまり好きじゃなかったなー、って。

幼少から10代にかけて、私の好む遊びは大抵男子が好むような事ばかりだった。

木登り、入り組んだ路地裏を走り回る探検、アスレチック、秘密基地作り、ファミコン

小学校の頃、同じクラスの男子の海老原君をブランコに座らせて自分は同じ座面に立ち、吹っ飛ぶ勢いの立ち漕ぎをして海老原君を泣かせた。彼には悪い事をしたなと思うけれど、二人分の重力と遠心力でいつも以上に高く上がるブランコはとても楽しかった。

ままごとや人形遊びやお絵かきは苦手中の苦手

真っ白な紙を手渡され多彩な色の揃ったクレヨンや色鉛筆を持たされ「何でも好きなものを描いてごらん」と言われるのだけれど、そもそも書きたいものなんて無い、困惑しかない。

「何でも好きなものを」というフレーズで子どもに選択権を与えた気になっている大人の皆様には是非、そもそも描きたいものなんて無い子どもだっている事を知って頂きたい。

ままごとも、よく分からない演技を強いられてただただ恥ずかしいだけだった。

人形遊びに関しては「ただの動かない人形」の一体何がどう面白いのか

私は中流家庭に育った一人っ子の女子だった為、親戚や親からそういう類の物をふんだんに与えてもらっていたし、女子の間では当然のように行われていた遊びだったので、恐らくそこには心を豊かにする大そう楽しい何かがあるのだろうとは思うのだけれど、本当の面白さを知るよりも先に大人になってしまったクチである。

 

人形を椅子に座らせるより、海老原君をブランコに座らせる方が何倍も楽しかった。

 

そんな調子のまま大人になったので
当然ながら私には女性の友達が非常に少ない

そもそも友達自体が圧倒的に少ないのだけれど、とにかく男女比率のバランスがおかしい、20:1くらいの男女比だと思う。

20代そこそこの頃は

「そんな女子って変かな・・」とか
「周りから見たら男の子とばっかり遊んで嫌な女に見えるかな」とか
「男女の友情は成立しない」とか

なんかそんなありふれた色々に惑わされて少しは気にした事もあったけれど、いつの頃からかどうでも良くなった。

 

だってしょうがないやん
シルバニアファミリーまじでおもんないねんもん(※あくまで個人の感想です)

男女の友情の成立不成立って何なの、性的な事が絡んだら友情じゃないとか下心が云々とか?

相手が同性でも
「コイツと付き合ってなんか良い事あるかな」
「おもろいかな」
「一緒にいて楽しいかな」
「自分にとって良い影響を与えてくれるかな、悪い影響を与えてこないかな」
「困った時相談乗ってくれるかな」
「危害を加えてこないかな」
「変な宗教に誘われたりしたら付き合わないでおこうかな」
とか考えると思うんだけど、これは下心じゃなかったら何なの?

同性でも友情の成立しない関係なんてごまんとある。

なんて事を考えながら「来るもの選別、去るもの追わず」で好きにやってて
気が付いたら先の男女比になってた。

その比率をふと感じる時、私は自由だなあと思う

良いか悪いかは別として。

 

 

人間関係を篩(ふるい)にかけたお話 -人を切り捨てるに至るまで-

 

いまだに父方の親戚が夢に出てきてうなされる元不登校児のみつまりですどうもこんにちは。

不定期更新のこちらのブログの投稿頻度のバランスが悪すぎるのですが、気まぐれに連投させていただきます。

 

私が不登校になった原因は、イジメに遭っていたからでも仲間外れにされていたからでも体罰を受けたからでもありません。

「なんとなく校風に馴染めなかった」ただそれだけの事

ですので、直接的な学校に対してのトラウマなどはありません。

私が最もダメージを受けたのは、学校に行かないという選択をした後に、周囲の人達から手の平を返すような反応をされた事でした。

 

私の場合は、主に父親を始めとする父方の祖父母、親戚から、不登校に関して全く理解を得られませんでした。

そのあれこれはこちらの記事の後半「すべてはあとがきに」にて記載していますまたこの記事かよとか言わないで

cake-peropero.hatenablog.com

 

私は一人っ子で静かな家に育った為、親戚と盆正月に集まる賑やかなひと時が当時はとても楽しみな子どもだったのですが

学校に行かない選択をした事により、叔母から『不登校がうつると困るのでうちの子(私の従姉妹)に近寄らないで』と盆正月の集まりから排除され、その後の数年間は「排除されたのは自分に原因があるのだ」と感じ、何とかその人達との関係を取り戻したいと躍起になりながら社会復帰の道を辿り大人になりました。

 

私は障害当事者との結婚離婚を経験していますが、結婚当時にも婚約者の障害を理由に父方の全員から猛反対を受けました。

 

ただ一人、母親だけが応援してくれ父方親戚勢力の前にたった一人で立ちはだかり盾になってくれました。

父方と二世帯同居で生活ごと完全アウェーの中でそこまでしてくれた母親には今でも頭が上がりません離婚してしまってごめんなさい本当にごめんなさいごめんなさいごめ(以下略)

 

すみません話が逸れました

 

あまり事情を知らない人にこの話をすると

「男親っていうのはね…幾つになっても娘の事が心配なものなんやで(微笑)」

と諭すように言われる事が多々あり、私も

「そうかぁ…お父さんってそういうものなんですね(微笑)」

と返しますが、実のところうちの父親に関してはそういう類の反対の仕方では一切ありませんでしたというか私の目にはそう映りました。

『うちの家系に障害者の血が混ざる事が生理的に無理』という純度100%の単なる差別。娘の事が心配なんて100歩譲って後付けで多少はあるかも知れない?かな?くらいです。

いや『うちの家系』って…私の曽祖父山奥で猟銃自殺してるやん?叔母も統合失調症やん?叔父はアルコール依存症やん?私もあなた方から見たら欠陥品やん?その事はぜーーーーーーーんぶ棚に上げて人の事そんな風に言うのおかしくない???彼のご両親がその言葉を聞いたらどんな気持ちになるか分かんないの??あなた方も一応子を持つ親なんじゃないの???言われた側がどんだけ傷付くか分かんないの???

と思いましたが

父親は…父親もまた、おそらく「親の期待に応えなければ」という思いで生きてきたのだろうな、と、これはここ数年で気付いた事。

父親自身にはおそらく自分の考えはなく

「両親(私から見て祖父母にあたる人間)が、孫である我が娘の行動を良く思っていない」

そして

「自分の親に(良い父親になったな)と思われたい」

父親自身が自分の親に認められたい一心で、私の生き方を正したかったのだろうと思います。

当時から、父親の目には私が映っていないように見えていたのは私達の関係性が原因ではなく、私の思い過ごしでもなく、おそらくこのような生育歴が根底にあったからなのでしょう。

 

と、ここまで前フリです。

私は現在、父を除く父方の全員と関係を断っています。

私は猛反対された元夫との結婚の際、結婚式を挙げました。

身内だけの慎ましいものでなく、お世話になった方々をお招きするパーティ形式。

お式は、沢山の大切な方々に貴重なお時間を割いていただき、離婚してしまった今でも生涯胸に残る程とても有難く嬉しいひと時だったと感じています。

 

ただ、このお式は私にとってのもう一つの大きな分岐点にもなりました。

 

結婚式を挙げると決めた際、一応親戚にも招待状を送付したのです、どんな反応が返ってくるのかなという感覚で。

当然ながら父方は父親も含めて誰も来ませんでした。欠席の理由は体調やスケジュール等の関係ではなく差別的なものでした。

それを境に関係を断ちました。

この一件は、私が意図的に「人間関係をふるいにかける」という行為を行った最初で最後の行動です。

 

何とか関係を修復しようとしていた時代、ふと気付いたのです

「相手の気持ちを慮る心を持たない人と無理してまで仲を修復して何のメリットがあるのだろう」
「メリット…何もなくない??」と。

 

どれだけ話し合いの機会を持とうが分かり合えない人とは永遠に分かり合えない。

何が正しいとか何が悪いとかでなく、ただそれだけの事でそこに労力を費やすのは時間の無駄だな、と。

 

父方の祖父母は共に今も健在ですが、現在どちらとも危篤状態にありいつ死んでもおかしくありません。しかしながら、彼らが他界しても私はお葬式には行きません。
親族に会いたくないから。
子どもみたいな理由だなと思われるかも知れませんが…

もし母よりも父が先に他界した場合も同じくですが、私は一人っ子なので母を支えられる人が他にいない為、その場合はやむなく母親の心労を慮って行くかも知れません。

万が一、私が誰よりも先に死んだ場合は、母には「父方の親戚にはお伝えしなくて良い」とお願いしてあります。

ちなみに祖父母や父方の親戚は私が離婚した事も知りません。

 

今私が抱えている最も大きな懸念事項は、母が一番先に逝ってしまった時の事。

母には長生きしていただきたいです。

16歳で一人暮らしをしながら引きこもっていた女の子のお話 ~事実は小説より奇なり~

東日本大震災の時、引きこもりの人は家から出たのだろうか?
それとも引きこもりスピリッツを貫いて、家もろともだったのか・・・
という事が、6年経った今でも物凄く真剣に気になっている元不登校児のみつまりです、お久しぶりです。

メインブログの方では色々書いているのですが、こちらは1ヶ月ぶりの投稿です。

さて、9月1日は子どもの自殺者が最も多いという情報がここ数年で広がり、昔から支援をしている団体を筆頭に、大手新聞社・大手ネットメディア、私のような素人ブロガーまで「ちょ!自殺まってまって!」と喚起する記事も非常に増えたように思います。

それでもなお、ひきこもり等が減ってきているという体感はありません。

40代50代のひきこもりに関する相談件数も増えているとか。
増えているっていうか、元々若かった層が高齢化したという事なんですけれども、なぜここまで長期化するのかというと「相談には基本的に本人が来なければいけない」という支援機関が多いため、そこで進路(退路?)を断たれる人がかなりの人数いるのではないかなというのが私の想像です。

私自身が不登校だった当時も、親がどこかに相談に行こうとして、ご本人が来てくれなければ相談に乗れませんと断られたケースが多々あったと記憶しています。

まあ何というか、私も困っていたので「じゃあ自分が行くしかないのか」となり、私の場合はそれで動いたので、あまり参考になる話ではありませんが

当時、同い年位の人に遭遇する事や
「平日の昼間に子どもが歩いていて変に思われるのではないか」等の強い恐怖心から
外に出る事すらままならなかった私は

始発近い時間の電車に乗って現地まで行き
その支援機関の相談時間まで数時間ビルの陰で待機し
相談が終わったら再び人気の無い時間まで待機して
電車の後部座席の端の端に乗って帰る
みたいな事をしていました。

『当事者が自力で来い』というのは
シンプルに「当事者が外に出るきっかけになる」という意味で言えば良い事かも知れませんし「家にいてもお医者さんに見て貰えるんだったら」という風に思っていたら
確かに家から出なかったかも知れないなーとも思いますが、当事者が外を出るというのは上に記したようにとんでもなくハードルの高いものです。

支援機関・支援者の数に対して当事者の数が多すぎる事や、自宅介入の難しい家庭もあるでしょうが、せめて希望している当事者や家庭に対しては、第一歩外に出るまでの支援としての自宅介入は必要なのではないかと考えます。本人が口頭で支援を希望していないと言っていたり、望んでいないように見えても、好んで自宅に居るのではなく「外に出られない」のであれば、その事実自体がSOSを発していると考えるべきだと思います。 

そして間違い無く言えるのは、私が最終的に外に出られるようになったのは
始発と終電に乗る事を頑張りカウンセリングを受け続けたからではありません。

じゃあ外に出られるようになったのはなぜかというと、幸運な事に友人に恵まれたからかなと思っていますが今回はそのお話では無いのでその友人との出会いに関してはこちらからどうぞ

『岡崎に捧ぐ』山本さほ ~変わりゆく時間の中で変わらない者の存在に救われた私達のお話~ - ケーキのフィルムをペロペロする奴は大体友達

 

 

話を戻します。

二ヶ月ほど前、内観療法という心理療法の体験談を書きました。

onorenomai.hatenablog.com

こちらの記事には書きませんでしたが、実はこの監禁話には後日談がありまして・・・
同じ部屋で一緒に監禁されていた、知らない人のうちの一人がたまたま私と年齢の近い女の子だったのです。
私達は監禁中、小さな紙きれに電話番号と住所を書いて、カウンセラーの目を盗み、こっそり連絡先を交換しました、アルカトラズか。

 

その子は某他県から大阪に出てきた一人暮らしの16歳で

今考えると、経済的な意味ではなく炊事洗濯掃除買い物などどうやって生活していたんだろうと思うんですけれど
とにかく、その一人暮らし先で1人で引きこもっていたのです。

本人曰く、実家がとある温泉地で大きな宿を経営していて
結構なお金持ちだそうで、親がお金を送ってくれるので
お金には不自由していないとの事

その子も私と同様に「外に出るのが怖い」子だったのですが
私とは別次元、タクシー移動で難局をしのいでいました。

今でも強烈に印象に残っているのはその子の面影

アムラー大流行により皆が茶髪でけばけばしい装いだった時代に
黒髪ロングヘアで色白で華奢で儚げで・・・そういう外見は今では珍しくありませんが、当時はある意味新ジャンルのとても綺麗な子でした。

一人暮らしで学校も行っていないし仕事もしていなかったので
いつ寝てるのか起きてるのか分からない生活

ご飯をほとんど食べず、その代わりに
当時販売されていた煙草の中で一番きついとされていた
缶ピースという物を嗜好品としてずっと吸っていました。

そして、凄く寂しがり屋さんでした。

「押しの弱そうな綺麗な女の子・寂しがり・一人暮らし」
あと、今考えると
自分を大切にする方法が分からない子だったのかなと思います。

色々と揃っている彼女は、タクシーに乗るたびに
タクシー運転手と密な関係を結ぶようになり、彼女の自宅は
何人かのタクシーの運転手の性処理兼休憩所になっていました

繰り返しになりますが、当時の彼女は16歳でした。

その子とは、私が後にバイトを始めたり
何だかんだで忙しくなって気が付いたら連絡が取れなくなっており
自宅にも直接行ってみたのですが、既に引き払われた後でした。

 

と、何を伝えたいのかよく分からない記事になってしまいましたが
彼女が自力でタクシー通いをしながらカウンセリングに通っていた事は
果たして彼女にとって良い事だったのか
自宅への介入があればもっと違う形になっていたのではないか
という事を、今でも考える時があります。

どちらにせよ、彼女の場合はタクシー運転手と私以外、頑として自宅に入れなかったと思いますが

もう40歳が目の前に迫っている私の人生で、彼女と過ごした短い日々は
時と共に薄れゆく記憶の中で、いまだに夢か幻のように非現実的で
まるで小説の中の出来事のようだったと感じる思い出の一つです。

学校へ行くか死ぬかの二択を迫られている人達へ ~元不登校の私より~

 

中学3年生の頃に不登校になったみつまりですどうもこんばんは。初めましての人は初めまして。

身近な小学生に聞いたのですが、最近は夏休み期間が学校によってバラバラだとか・・・とすれば、登校日も9月1日ではなくなってきているのでしょうか?それとも登校日は一緒で夏休みの始まる日が遅くなっているのでしょうか?

もしかしたら、明日が登校日の人もいるのでしょうか?

このブログの初投稿の記事に書いた通り、GWとこの夏休みの時期には毎年、学校に行きたくない人が「学校行きますか、それとも死にますか」みたいな二択を真剣に考えてしまっているのではないか、と、心配になります。
なぜそんな事を考えてしまうのかというと、学校に行かない事を選択した20年前の私自身が、当時本当にそのような事を考えていたから・・・いや、考えていたというよりはそのような選択を周囲に迫られていたからです。

onorenomai.hatenablog.jp

こちらの記事にも書いた通り9月1日は子どもの自殺者が最も多い日だそうです。
このブログは今後も細々と続けていくつもりですが、ひとまずは、この9月1日を目途にして、少しでも今現在生きるか死ぬかの二択に迫られているご本人やその周囲の誰かにメッセージが伝わればとの思いで開設ました。

 

学校行く?それとも死ぬ?

私自身の経験を元にすると、この言葉というのは大袈裟でも何でもなく、学校でいじめに遭っている子や不登校気味の子って8月に入った時点で既に気持ち的には9月の登校の事をずーーーーっと考えていて、8月末日にもなると

「さて明日はいよいよ登校日で御座いますが、正直このまま休んじゃいたいけどやっぱりダメだよね・・・行かなかったら親が悲しむし今後もっと行きづらくなるしクラスで目立っちゃうし近所でも噂に(中略)ならば死ぬべきか。」

というような、冗談のような二択を本気で自分に強いています。

学校に行かないという選択だけで、悲しませたくない人が悲しんだり、親に寝込みを襲われ殺されかけたり(↓詳細はこちら)

『不登校=親が甘い』という考えが甘すぎる件 ~不登校サバイバー~ -

知らない人の家に監禁されたり(↓詳細はこちら)

学校に行かなくなったら知らない人の家に監禁された話 ~内観療法~ 

周囲から排除されたり、異質なものとして見られ、具体的には友達の親から「不登校が伝染したら困るからうちの子と遊ばないで」と言われたり。私の周囲の不登校経験者にも同じような経験をしている人がいるので、実際にその様な経験をしたり、そんな風になる事を予見した子が耐え切れずにこの世を去ってしまうのではないかなと私は想像します。
そして、私はそんな人達を何とか引き留められないかと考えています。

↓こちらの記事にも書いてあります。

futoko.publishers.fm

不登校新聞さんは、毎年この呼びかけを行っていらっしゃいます。

futoko.publishers.fm

 

個人的二択の回答

さて、中学3年生で不登校になり30代後半になった現在、平和に生きている私といたしましては、学校行くか死ぬかの二択問題の答えは
『学校行かない』の一択です。実際私はそちらを選びました。
と言われたところで、きっとこれをご覧になっているかたは
「そう言われても、あんたにとっては昔の事なんだから言うのは簡単だろう。」
「他人事みたいに言うのは簡単だけど、実際その後どうすりゃいいの?」
と思われるのではないかと想像します。
ですので、私の現在持っている知識の範囲内で学校に行きたくない理由別・学校に行かなかった場合のその後の生き方を纏めましたので、以下ご清覧いだけますと幸いです。

 

学校行きたくない理由がイジメ編

もし学校に行きたくない理由が「イジメに遭っている」であれば全力で逃げましょう。

逃げたら負けな気がするとか、逃げた事をまた笑いものにされたらなどと考えるかも知れませんが、あなた(ってもはや誰に対して喋っているのか分かりませんが)のコミュニティなんてショボいもんです。

学校が好きでどうしても行きたいなら別ですが、実際はそうでもなくて、でも親を困らせたくはないし皆行ってるし何となく行かないとダメな気がする・・・。という理由なら、あなたの親を困らせているのは貴方ではなく貴方をイジメている相手ですので全速力で逃げましょう。

毎日のように紛争や災害や犯罪で命を落とす人がいて、命にかかわる病気を抱えながら懸命に生きている人が沢山いるこの世界で「○○中学の△って奴が学校来なくなったんだけどwww」という話題なんて正直そこのコミュニティの人以外誰も興味無いです。

コミュニティ内だって、下手したらそこの中の多数が(仲間外れにされたくない)とかいう理由で仕方なく付き合ってる事も少なくありません。

もし暴力を振るわれていたり(言葉の暴力も含む)金銭を要求されていたりするならそれはもう犯罪ですので大人を巻き込みましょう。

具体的には、私ならばそうですね・・・例えば警察に話す、都道府県の教育委員会に電話する、それらが相手にしてくれなければその上の文部科学省に連絡。それでも無理ならその全てを録音しておいてマスコミに話しますかね・・・。相談ではなく巻き込むのです。

「いやお前、ここまで書くならもっと具体的な相談先教えろっていうかお前が相談に乗れよ。」と言われれば、ええそれはもう仰る通りなのですが私はいち経験者でありここは私の体験談を伝えるブログです。専門家ではありませんので相談には乗れませんご指摘本当に有難うございます(←これが逃げ方。現代で言うスルースキルってやつですね)

学校休んだ後どうすれば良いか分からない編

学校休んだ後どうすれば良いか分からない人、バイトはどうでしょうか。
年齢や精神的にバイトが無理ならボランティアを募集している団体も沢山あるのでボランティアという選択肢もあります。
ボランティアといっても人の為にしなければならないと言う訳ではありません、自分の為です。ボランティアは善行でなくても良いと私は思っています。家庭と学校以外に自分の所属先を作る事が目的です。
人の目が気になって、人が怖くて外に出られないなら、今は無理に出なくても大丈夫です。
ただ、あなたの所属できる場所は学校以外にも沢山あるという事だけ知っておいてほしいです。
これについては、いつか関西地域のご紹介できる先をこちらのブログに掲載出来ればと考えています。

学歴が必要だと思う編

『大手企業に勤めたくてその為にはまっさらな学歴が必要』だという人。

現時点で学校という社会集団に疑問を感じているのに一度も挫折をした事の無い人しか雇わない(そういう人達しかいない)企業や団体に所属した自分を想像できますか?しんどくないですか?

いや、もちろんこの年にもなると、年収1千万越えとかの、とんでもない年収格差がある友人もいるんですけどね・・・しかし学校に通った人が全て数千万円数億円のマンションに住めるかと言ったらそうでは無いですし、大学まで出てても何やかんやで生活苦に陥ってる人もいます。

私は通信制高校卒ですが、同級生には美容師の専門学校に進み、美容師になって現在は経営者としてヘアサロンを全国展開している人もいますし芸大に行って夢を叶えた友人もいます。

元不登校児は今 〜学校へ行かなかった大人達〜 

どうしても王道学歴レールで行きたいと考えているならそれは私には出来なかった生き方なので、それはそれで凄い事だと思います。

将来の夢が学歴必須編

『自分の将来なりたい職業の資格が学歴必須』という場合もありますね。

でも、今なら単位制高校も沢山あるし、大検からの大学受験も可能です。

昔「37歳で医者になった僕」というドラマがありまして、タイトルの通り30代後半で内科医になった人のお話だったのですが、実話を元にしているそうです。

37歳で医者になった僕〜研修医純情物語〜 - Wikipedia

という事は、将来医者になりたい場合、30代から動いて間に合うという事が実証されています。
要するに何が言いたいかというと、今あなたがいるその学校が全てではないという事。
少なくとも、生か死かを選択するに値するほど重要なものではないはずです。
私には「協調性が無い」「集団行動が苦手」などの特性がありますが、それは学校に行かなくなる以前からの特性であり、学校にそのまま行っていたところで改善していたとは思えませんし社会に自分の内面を合わせて行くより「ありのままの自分」を認めてもらえる社会の方が、自分らしく生きていき易いと思うのです。

 諦める・辞める勇気

大丈夫です、貴方が学校に行かなくなって親が困る理由なんて「社会に対する体裁」以外無いのですから(もし保護者のかたがご覧になっていたらごめんなさい)。

親の顔色を気にして生きるなら親の期待は底無しだという事を知っておいた方がいいです。今無理して学校に行ったとしても、その事については何も評価はされず「もう少し成績が良ければ。良いお友達に恵まれれば。良い進学先へ。」と続き、学校を頑張って卒業したらしたで「安定した就職先へ」という期待が待ち構えています。

そして「そろそろ結婚は?」となり結婚したらしたで「孫の顔が見たい」と言われます、この類の期待は永遠に終わりません。

自分の全人生を掛け命を懸けてまでそれに付き合う覚悟があるなら、私は決してそれが悪い事だとは思いませんし、私には出来ない生き方なので素晴らしいと思います。

弱みを強みに

社会には正規ルートから外れた道を選択して現在に至る」という部分を評価してくれる人もいます。

私がこんな風に「学校なんて行かなくていいよ!」と声を大にして言えるのも、実際に私がその道を辿ってきた「元不登校だったから」であって、普通に何の不都合も感じる事なく学校に行っていた人生なら不登校に悩む人の心は分からなかっただろうし、分かりたいと思っても「お前に何が分かるんだ」と言われたら返す言葉も無かったと思います。

私は非常に自己肯定感が低い人間ではありますが、こんなありのままの自分でも良いんだなと考えられる様になったのはこの20年の歳月でありのままの私を全力で肯定してくれる人達との出会いに恵まれたお蔭です。もし、貴方の周囲に貴方の行動を肯定してくれる人がいないというなら、ここのブログに来てもらえればと思います。

私はこちらのブログで学校に行かない道を選択した貴方の生き方を肯定し続けます。

あと、この記事の中盤で私自身は直接相談には乗れないと書きましたが、ツイッター(プロフィールの所にリンクあります)やってますのでそちらへ気軽に声をかけていただければと思います。ツイッターやってない人や、出来ない年齢の人はコメント欄(非公開)にメールアドレス等書いていただいたら出来る限りご対応します。

※2018年1月追記:お問い合わせフォーム作成しました、以下からどうぞ。

お問い合わせフォーム

 

周囲の人へ

onorenomai.hatenablog.jp

以前こちらにも書きましたが
周囲の大人達も、身近な子が学校へ行かなくなったら
まずは「登校」「通う」「学校」「スクール」という言葉から解放される事が先決だと思います。
当事者は周囲の心の機微を非常に敏感に感じ取っているものです。
不登校当時の私は「あれ?今日は学校休み?」という大人にしてみればどうという事でも無い質問をされる事を極端に恐れ、周囲に不登校が知られてしまうのではという不安から平日の日中には外を歩く事も出来ませんでした。
しかしながら、そこまで極度に不安を感じていた発端は、やはり「学校へ行っていない=異常な事」という社会の認識を周囲の対応から感じ取っていたからだと思います。

「行きたくない」という言葉を
『生きたくない』に置き換えてみてはいかがかと思います。

元不登校児は今 〜学校へ行かなかった大人達〜

 

こんばんは、元不登校のみつまりです初めましての人は初めまして。

私の周りには、現在20代〜30代の「元不登校経験者」「高校中退経験者」の友人が結構います。 

私達が学校に行かなくなった頃は、今のようにネットも普及しておらず、というかネットがまだこの世に存在すらしていなかったので、一般の人がブログやSNSで情報を発信する事など出来ませんでした。

なので、不登校になりたての頃「こんな道を外れた未来の無い人間はきっと世界で自分1人だけなのだろう」という漠然とした不安を感じていました。

今このブログをもし見てくれている人が、現在学校に行ってなかったり引きこもっていたりしている人ならば、このブログを通じて「同じ様な経験をしている人は自分一人じゃないんだ」と思ってもらえればなーと、そんな風に考えています。

という事で、本日は、冒頭に書いた元不登校児をはじめとする「学校ドロップアウト組」が20年の時を経た今、どうしているのかをご紹介したいと思います。

 

共同ブロガーの2人

私はこちらの個人ブログ以外にもう一つ、ネットで知り合った知人と3人でブログを運営しています。

cake-peropero.hatenablog.com

現時点の最新記事が私の公序良俗に反しかねないド下ネタ記事なのでお目汚しになり大変申し訳ないのですが、偶然にも、こちらのブログを一緒に運営している共同ブロガーの2人も昔不登校だったそうです。

カメノセタロウは小学校の頃不登校を経験。その後、中学校高校は休みがち、大学は三回生からの二年間試験以外は1度も授業へ行かず、就活も数社しかせずそのままニート(ここまで本人談)、と言いながらその実はバイトでお金を稼ぎつつ頻繁に海外長期旅行する生活を経て、現在は毎日「誰か養って!」と叫びながら女性のヒモになる事を日々夢見ている会社員です。

高木よーへい(20代男性)は小学校5年生の月に10日程しか登校せず(本人談:ニュアンスがあれやけど不登校期間小5の数ヶ月だけやねん、なおしてもなおさんでもええけど!)の微登校。その後中・高・大を経てメディア関係に勤め現在は某所へ出稼ぎに行っています。

 

友人ピー

またまた共同ブログの宣伝のようになり恐縮なのですが、こちらの記事に掲載した私の友人ピーも中学校から不登校

ピーと私は同じ学校だったのですが、2人とも同時期に中退し、ピーは暫くフリーターを経た(と思う)のちに、昼間部がある定時制の学校に入学。ピーはその高校を、休みながらもすごい根性で6年くらいかけて卒業。アイドルの追っかけやPCのオンラインゲームに嵌りつつも過去にはインラインホッケーロードバイク等々幅広い趣味を持つ会社員。cake-peropero.hatenablog.com

 

友人T

大人になってから知り合った友人のTくん(30代男性)は小学校から不登校そのまま義務教育を行かずに自宅で過ごし10代後半の頃に生まれ育った地方から東京へ上京。某新聞社で働く→とある身体障害当事者と出会い、その当事者宅で住み込み介助者として働く→大阪にて障害者福祉事務所に勤める→そこで偶然出会った障害当事者と共に大阪南部に活動拠点を移してNPOの自立生活センターを設立。現在は一人娘のお父さん。(T君もし見てくれてて間違ってたらご指摘お願いします)

彼は私と同様に、学校へ行っていた時に嫌な思いをしたというよりは『学校へ行かなくなってからの自分に対する周囲の人の手のひらを反すような行為』に対して深く傷つき大きな疑問を抱いて生きてきた人で、彼の不登校の頃の話を聞くと共感できる部分が多々あります。

読書家であり、障害の分野に拘らず人の生き辛さについて幅広い関心と知識を持っていて常に情報のアンテナを張っている人です。

 

通信制高校で出会った友人達

Sちゃん(40代女性)は中学校の頃非行に走り、色々あったそうで。通信制高校から大学進学。現在は2児の母であり、大阪で一番治安の悪い地域の福祉課で相談支援の仕事をしています。

Kくん(30代男性)は、通信制高校在学中に先生からのアドバイスで一生懸命探した「憧れていた職種のアルバイト」が転機となり、その道を目指して大学に進学。自分のなりたかった職業に就きました。

Mくん(30代男性)は、確か通信制高校から私と同じ情報系の専門学校に進学。その後電気回りの修理や施工を請け負う会社を自営で営んでいます。

Tくん(30代男性)は、通信制高校から美容専門学校に進み美容師に。全身タトゥーが物凄いですが、そういう分野?に特化した一部の人達の間では有名なサロン?で現在は全国各地に店舗を構えている代表。たまにクラブDJとかもしている模様(Facebook情報)

数年前の同窓会で再会した、昔はギャルのような子だった女の子達は落ち着いたお母さんになっている人が多かったです。

 

まとめ

と、色々な人の現在を文字にしてみましたが、本当か嘘か分からないような曖昧な情報をイニシャルで記したところであまり意味が無いかも知れないなと思いつつ・・・

あと許可なく勝手に書いちゃってるんですけどみんなごめんね、もしこれを読んでくれててアカン感じだったら連絡ください。

冒頭にも記した通り、このブログを通じて「同じ様な経験をしている人は自分一人じゃないんだ」と、そして「学校行かなくても何とかなる」というのは気休めの言葉では無く本当に何とかなっている人って沢山いるんだなと、そんな風に感じてもらえる事を願いながら、本日はこの辺で。

学校に行かなくなったら知らない人の家に監禁された話 ~内観療法~

登校拒否がなぜ不登校に改名されたのかどこがどう違うのか分からない20年前に登校拒否児と呼ばれていたみつまりですこんばんは。初めましての人は初めまして。

本日は、少し長文ですが手書きの絵を添えて学校に行かなくなった直後の思い出深いエピソードを・・・。

『宝くじが当たったら、どこから話を嗅ぎ付けたのか分からない謎の団体が寄付を求めてきたり、変な人が寄ってきたりする』という話はよく聞くものですが、それと似たような感じで私が学校に行かなくなった初期の頃も、弱っている我々家族の負のオーラを嗅ぎ付けた人々が各方面から寄って来ました。

そして、数々のそれに私達は、中でも特に母親は見事に引っかかりまくりました。

ある時はタンスの上に水らしき物を祀り、山奥に良い祈祷師がいると聞けば私の肌着を持って会いに行き、登校拒否専門の家庭教師を派遣するという謳い文句で高額のペラい教材を売りつける会社と契約を結び・・・。

かくいう私も当時は弱っていたので、母親の知人の熱烈な勧めにより、その知人が崇拝している超マイナーな新興宗教の総本山に連行され、「おや、こんな山奥に大阪城ホールが?」と思う程の巨大なホールで教祖の有難いお話(しかも衛星中継)を聞いたり

なんか畳屋の2階に霊媒師がいるとかで行ったらまじで畳屋の2階にお札の張り巡らされた部屋があってそこでお祓いをされたり・・・。

とか、なんか今になって思えば色々と面白い体験をさせていただいたのですが、その中でも特に強烈だったのが「人の家に一週間軟禁(監禁?)される」という心理療法でした。

※今からこちらに書く体験は実在する心理療法のようですが、経験した私の率直な感想をそのまま書かせていただきますので推進している人におかれましては不適切に感じる部分もあるかと思います、ご了承ください。 

 

監禁は突然に

その日は突然訪れました。

母親から「来週(民間カウンセラー)先生のお宅に1週間泊まってきて」みたいな事を言われ「1週間泊まる・・?それをすればお母さんが満足してくれるのなら行きますですはい(←もう麻痺してる)という事で、私はとある民間カウンセラーのお宅に一週間お泊りする事になりました。

(泊まりに行ってる間はそれを理由に学校行かない事を許されるから良いか)みたいな感じでほぼ何も考えずに翌週訪れた先で待ち受けていたのは、客人に対するおもてなしでもセミナー的なものでもなくまさかの6畳一間での監禁生活。

しかも、そこには全然知らない2人の先客が居ました。当時の私がもしツイッターをしていたら恐らくスマホは取り上げられていたとは思いますが6畳一間に全然知らん人と3人で監禁されて草」とか発信していた事は間違いないと思います。

そこで行われるのが『内観療法』という心理療法だと知ったのは、その場所に着いて、カウンセラーと対面した時でした。

 

内観療法とは

内観療法 - Wikipedia

臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)のこと。
母、父、兄弟、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わり
・してもらったこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと
の3つのテーマにそって繰り返し思い出す。

と、天下のWikipedia様にも丁寧に説明が記されてありますが、当時15歳の私にしてみればそんなもん知らんがなというお話。

とはいえ一応ここは日本ですし、心理療法とか言ってるって事は多少なりともカウンセラーを名乗るお婆さんも人の事を良くしてあげよう的な気持ちでなんか知らんけどやってくれてるんだよね?別に犯罪を犯した訳でも無いし、6畳の部屋からは出られなくてもその中ではもちろん自由だよね?

なんて思った私が甘かった。

6畳に通された私と2人の他人は、ショボい屏風みたいなつい立てを設置され、そこにできた半畳のスペースに入れられ、今日から一週間就寝とお風呂とトイレ以外の全ての時間をその半畳で過ごせというものすごい謎ミッションを与えられました。

f:id:mitsumari_blog:20170818162623j:image

上からの図、たったの半畳だから横にもなれない。ここで168時間耐久生き地獄レース

で、その半畳で何をするかというと、繰り返しになりますが

母、父、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わりの中で
・してもらったこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと

というのを母親の体内からこの世に出た時まで遡って一日中一週間その事について思い出せという事なんですけれども

いや知らんがな

お婆ちゃんがたまに聞きに来るからサボるなよ、ちゃんと思い出した事を言えよと

いや知らんがなと、生まれ落ちた時の事なんて知らんがなと

しかし往年の電波少年よろしく突然知らない所へ連行され半畳スペースに軟禁された15歳の私に脱獄する勇気などなく、母親から「とりあえず一週間やり切ったら最後に偉いらしき人から総評みたいなお言葉が聞ける」と言われ

もうこれ・・よーわからんけどやるっきゃないとなり最後の総評だけを楽しみに反抗的な面は一切表に出さず素直に取り組みました、私ってこの頃からポジティブだったんですね。

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なんていうか、人間って半畳のスペースに屏風で監禁されたらよくわからない派手なお婆ちゃんからの総評を楽しみに生きられるようになるんだな、人間の可能性って凄いなって思いましたよね。

 

今の自分だったら5秒で帰ってると思いますけど、当時の私はよく頑張ったと思います。

よく分からない療法を一週間やりきりました。

一週間経った頃には、私はもうお婆ちゃんからの総評が楽しみで楽しみで仕方がなくなっていましただってそれ以外楽しみないからね。

しかしその168時間に及ぶ努力と期待は微塵に崩れ去る事になります。

私を迎えに来たついでに、私よりも先にカウンセラーから総評を聞いた母親がなぜかブチギレて6畳の部屋に勝手に侵入し私の手を引いて帰ってしまったのです。

いやいやいや・・・何を言われたのか知らんけど、この療法に何十万支払ったのか知らんけど、こっちは168時間やり切ったんですよ、分かりますか168時間を半畳のスペースで過ごしたんですよ何でもいいからせめて総評聞かせてよって思いましたよね。

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 オチの母親ブチ切れエピソードも含めて本当に酷い話ですけど、これは大人になってからの私の「不登校エピソード笑い話部門」の鉄板ネタになったし、こうしてブログのネタにも出来たので、今ではプラマイゼロかなと思っています。

それにしても母親はあの時一体どんな総評を聞かされたのか、この話を思い出すたびに気になっているので、今度改めて聞いてみようと思います。

※2018年1月追記:聞いてみたところ、まさかの展開に。

onorenomai.hatenablog.jp

「そんなに親を悲しませて何がしたいの?」という不思議な質問が凄い腹立つ ~不登校になった直後の事~

不登校になった直後、一番気がかりだったのは自分の事ではなく「我が子が学校へ行かない」という青天の霹靂が受け入れられず錯乱状態になっていた母親の事でした。

母親は、学校へ行かなくなった我が子を前に、錯乱状態で毎日毎日自分を責めていました。

その動揺ぶりは、不登校という世間の常識から逸脱した行為を行っている私ですら(常軌を逸してるな・・・)と思うほどで(もしかしたら母親はこのまま自殺するんちゃうかな)とも思いました。

うちは戸建で2階に自室を与えられていたので、基本的には1日中自分の部屋に居ましたが、母親の事が心配で、夕方になると必ず1階まで音を立てずに降りて行き、リビングの電気が点灯しているか否かで母親の生存確認をしていました。

 

ある日の夕方、リビングを覗くと

普段は電気が灯っているはずの家中が真っ暗

ヤバイと思った私は母親の捜索開始

暗闇で耳をそばだててみたところ、お風呂場付近からシクシク・・シクシク・・というすすり泣くような声が・・・

脱衣所を覗き込んだら、閉め切っている真っ暗なお風呂場の扉の向こうにどうやら母親がいる模様。

(とりあえず声で生存確認出来たけどお風呂場で泣くってどういう心理状態・・・これはこれで怖い。)

とビビりながらもお風呂場の扉を開けたら、お風呂場の床にうずくまった母親が

「全部お母さんの責任なのどうのこうの(←忘れた)ごめんねごめんね」と言いながら泣いていて、その周りを当時飼っていた犬が心配そうにウロウロしていて、うわぁ・・と思ったけどまあ死んでなくて良かったよね、うん。なんて思いつつ呆然としていたら

最悪なタイミングで父親が帰宅。

 

一連の状態の私達を見た父が、私をリビングに連れ戻し、私に一言

 

「(みつまり)は何でそんなにお母さんを悲しませたいの?そんなに悲しませて何がしたいの?」

 

いや、お父さん・・・違いますそれは違いますお父さん、私がお母さんを悲しませたいなんて思ってる訳無いでしょ、むしろ自分の事より心配なんですよ、なぜそんな事を言うのですか?

ていうか私が学校に行かない事の何がそこまで悲しいのですか?具体的にどういったところが涙を誘う感じなんですか?不思議とか物珍しいとかずっと家にいるから邪魔とか目障りとかなら何となく分らなくはないんですけど、なんで「悲しい」のですか?

 

貴方がたは私が学校に行かないと言っただけでそうやって2人してなぜそんなに私を責めて悲しませるのですか?

 

3人しかいない家庭で、しかもこちらは子どもですよ

私があなたの目の前でこうして泣いたって、あなたは母親の味方でしょ

なぜいつもいつも母親の味方に付くのですか?

 

2対1でタッグを組んで絶対的に立場の弱い人を責めて、逆に、あなた方は何をしたいんですか?

 

答:学校へ行かせたい。

 

なにこの禅問答

この頃は、何かに憑りつかれたかのように「学校学校」という大人に囲まれこの世にこんな人間しかいないなら私はこの世では生きていけないなと本気で思っていました。

 

『学校へ行くことだけが生きる全てではない。』

そういう考えを持っている人がいる事、同じような経験をしてきている人達が、本当は沢山いたのだという事を知るのは、ここからずーっと先のお話。