20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

学校に行かなくなったら知らない人の家に監禁された話 ~内観療法~

登校拒否がなぜ不登校に改名されたのかどこがどう違うのか分からない20年前に登校拒否児と呼ばれていたみつまりですこんばんは。初めましての人は初めまして。

本日は、少し長文ですが手書きの絵を添えて学校に行かなくなった直後の思い出深いエピソードを・・・。

『宝くじが当たったら、どこから話を嗅ぎ付けたのか分からない謎の団体が寄付を求めてきたり、変な人が寄ってきたりする』という話はよく聞くものですが、それと似たような感じで私が学校に行かなくなった初期の頃も、弱っている我々家族の負のオーラを嗅ぎ付けた人々が各方面から寄って来ました。

そして、数々のそれに私達は、中でも特に母親は見事に引っかかりまくりました。

ある時はタンスの上に水らしき物を祀り、山奥に良い祈祷師がいると聞けば私の肌着を持って会いに行き、登校拒否専門の家庭教師を派遣するという謳い文句で高額のペラい教材を売りつける会社と契約を結び・・・。

かくいう私も当時は弱っていたので、母親の知人の熱烈な勧めにより、その知人が崇拝している超マイナーな新興宗教の総本山に連行され、「おや、こんな山奥に大阪城ホールが?」と思う程の巨大なホールで教祖の有難いお話(しかも衛星中継)を聞いたり

なんか畳屋の2階に霊媒師がいるとかで行ったらまじで畳屋の2階にお札の張り巡らされた部屋があってそこでお祓いをされたり・・・。

とか、なんか今になって思えば色々と面白い体験をさせていただいたのですが、その中でも特に強烈だったのが「人の家に一週間軟禁(監禁?)される」という心理療法でした。

※今からこちらに書く体験は実在する心理療法のようですが、経験した私の率直な感想をそのまま書かせていただきますので推進している人におかれましては不適切に感じる部分もあるかと思います、ご了承ください。 

 

監禁は突然に

その日は突然訪れました。

母親から「来週(民間カウンセラー)先生のお宅に1週間泊まってきて」みたいな事を言われ「1週間泊まる・・?それをすればお母さんが満足してくれるのなら行きますですはい(←もう麻痺してる)という事で、私はとある民間カウンセラーのお宅に一週間お泊りする事になりました。

(泊まりに行ってる間はそれを理由に学校行かない事を許されるから良いか)みたいな感じでほぼ何も考えずに翌週訪れた先で待ち受けていたのは、客人に対するおもてなしでもセミナー的なものでもなくまさかの6畳一間での監禁生活。

しかも、そこには全然知らない2人の先客が居ました。当時の私がもしツイッターをしていたら恐らくスマホは取り上げられていたとは思いますが6畳一間に全然知らん人と3人で監禁されて草」とか発信していた事は間違いないと思います。

そこで行われるのが『内観療法』という心理療法だと知ったのは、その場所に着いて、カウンセラーと対面した時でした。

 

内観療法とは

内観療法 - Wikipedia

臨床心理的目的のために応用する心理療法(精神療法)のこと。
母、父、兄弟、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わり
・してもらったこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと
の3つのテーマにそって繰り返し思い出す。

と、天下のWikipedia様にも丁寧に説明が記されてありますが、当時15歳の私にしてみればそんなもん知らんがなというお話。

とはいえ一応ここは日本ですし、心理療法とか言ってるって事は多少なりともカウンセラーを名乗るお婆さんも人の事を良くしてあげよう的な気持ちでなんか知らんけどやってくれてるんだよね?別に犯罪を犯した訳でも無いし、6畳の部屋からは出られなくてもその中ではもちろん自由だよね?

なんて思った私が甘かった。

6畳に通された私と2人の他人は、ショボい屏風みたいなつい立てを設置され、そこにできた半畳のスペースに入れられ、今日から一週間就寝とお風呂とトイレ以外の全ての時間をその半畳で過ごせというものすごい謎ミッションを与えられました。

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上からの図、たったの半畳だから横にもなれない。ここで168時間耐久生き地獄レース

で、その半畳で何をするかというと、繰り返しになりますが

母、父、自分の身近な人(時には自分の身体の一部)に対しての今までの関わりの中で
・してもらったこと
・して返したこと
・迷惑をかけたこと

というのを母親の体内からこの世に出た時まで遡って一日中一週間その事について思い出せという事なんですけれども

いや知らんがな

お婆ちゃんがたまに聞きに来るからサボるなよ、ちゃんと思い出した事を言えよと

いや知らんがなと、生まれ落ちた時の事なんて知らんがなと

しかし往年の電波少年よろしく突然知らない所へ連行され半畳スペースに軟禁された15歳の私に脱獄する勇気などなく、母親から「とりあえず一週間やり切ったら最後に偉いらしき人から総評みたいなお言葉が聞ける」と言われ

もうこれ・・よーわからんけどやるっきゃないとなり最後の総評だけを楽しみに反抗的な面は一切表に出さず素直に取り組みました、私ってこの頃からポジティブだったんですね。

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なんていうか、人間って半畳のスペースに屏風で監禁されたらよくわからない派手なお婆ちゃんからの総評を楽しみに生きられるようになるんだな、人間の可能性って凄いなって思いましたよね。

 

今の自分だったら5秒で帰ってると思いますけど、当時の私はよく頑張ったと思います。

よく分からない療法を一週間やりきりました。

一週間経った頃には、私はもうお婆ちゃんからの総評が楽しみで楽しみで仕方がなくなっていましただってそれ以外楽しみないからね。

しかしその168時間に及ぶ努力と期待は微塵に崩れ去る事になります。

私を迎えに来たついでに、私よりも先にカウンセラーから総評を聞いた母親がなぜかブチギレて6畳の部屋に勝手に侵入し私の手を引いて帰ってしまったのです。

いやいやいや・・・何を言われたのか知らんけど、この療法に何十万支払ったのか知らんけど、こっちは168時間やり切ったんですよ、分かりますか168時間を半畳のスペースで過ごしたんですよ何でもいいからせめて総評聞かせてよって思いましたよね。

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 オチの母親ブチ切れエピソードも含めて本当に酷い話ですけど、これは大人になってからの私の「不登校エピソード笑い話部門」の鉄板ネタになったし、こうしてブログのネタにも出来たので、今ではプラマイゼロかなと思っています。

それにしても母親はあの時一体どんな総評を聞かされたのか、この話を思い出すたびに気になっているので、今度改めて聞いてみようと思います。

※2018年1月追記:聞いてみたところ、まさかの展開に。

onorenomai.hatenablog.jp