20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

人間関係を篩(ふるい)にかけたお話 -人を切り捨てるに至るまで-

 

いまだに父方の親戚が夢に出てきてうなされる元不登校児のみつまりですどうもこんにちは。

不定期更新のこちらのブログの投稿頻度のバランスが悪すぎるのですが、気まぐれに連投させていただきます。

 

私が不登校になった原因は、イジメに遭っていたからでも仲間外れにされていたからでも体罰を受けたからでもありません。

「なんとなく校風に馴染めなかった」ただそれだけの事

ですので、直接的な学校に対してのトラウマなどはありません。

私が最もダメージを受けたのは、学校に行かないという選択をした後に、周囲の人達から手の平を返すような反応をされた事でした。

 

私の場合は、主に父親を始めとする父方の祖父母、親戚から、不登校に関して全く理解を得られませんでした。

そのあれこれはこちらの記事の後半「すべてはあとがきに」にて記載していますまたこの記事かよとか言わないで

cake-peropero.hatenablog.com

 

私は一人っ子で静かな家に育った為、親戚と盆正月に集まる賑やかなひと時が当時はとても楽しみな子どもだったのですが

学校に行かない選択をした事により、叔母から『不登校がうつると困るのでうちの子(私の従姉妹)に近寄らないで』と盆正月の集まりから排除され、その後の数年間は「排除されたのは自分に原因があるのだ」と感じ、何とかその人達との関係を取り戻したいと躍起になりながら社会復帰の道を辿り大人になりました。

 

私は障害当事者との結婚離婚を経験していますが、結婚当時にも婚約者の障害を理由に父方の全員から猛反対を受けました。

 

ただ一人、母親だけが応援してくれ父方親戚勢力の前にたった一人で立ちはだかり盾になってくれました。

父方と二世帯同居で生活ごと完全アウェーの中でそこまでしてくれた母親には今でも頭が上がりません離婚してしまってごめんなさい本当にごめんなさいごめんなさいごめ(以下略)

 

すみません話が逸れました

 

あまり事情を知らない人にこの話をすると

「男親っていうのはね…幾つになっても娘の事が心配なものなんやで(微笑)」

と諭すように言われる事が多々あり、私も

「そうかぁ…お父さんってそういうものなんですね(微笑)」

と返しますが、実のところうちの父親に関してはそういう類の反対の仕方では一切ありませんでしたというか私の目にはそう映りました。

『うちの家系に障害者の血が混ざる事が生理的に無理』という純度100%の単なる差別。娘の事が心配なんて100歩譲って後付けで多少はあるかも知れない?かな?くらいです。

いや『うちの家系』って…私の曽祖父山奥で猟銃自殺してるやん?叔母も統合失調症やん?叔父はアルコール依存症やん?私もあなた方から見たら欠陥品やん?その事はぜーーーーーーーんぶ棚に上げて人の事そんな風に言うのおかしくない???彼のご両親がその言葉を聞いたらどんな気持ちになるか分かんないの??あなた方も一応子を持つ親なんじゃないの???言われた側がどんだけ傷付くか分かんないの???

と思いましたが

父親は…父親もまた、おそらく「親の期待に応えなければ」という思いで生きてきたのだろうな、と、これはここ数年で気付いた事。

父親自身にはおそらく自分の考えはなく

「両親(私から見て祖父母にあたる人間)が、孫である我が娘の行動を良く思っていない」

そして

「自分の親に(良い父親になったな)と思われたい」

父親自身が自分の親に認められたい一心で、私の生き方を正したかったのだろうと思います。

当時から、父親の目には私が映っていないように見えていたのは私達の関係性が原因ではなく、私の思い過ごしでもなく、おそらくこのような生育歴が根底にあったからなのでしょう。

 

と、ここまで前フリです。

私は現在、父を除く父方の全員と関係を断っています。

私は猛反対された元夫との結婚の際、結婚式を挙げました。

身内だけの慎ましいものでなく、お世話になった方々をお招きするパーティ形式。

お式は、沢山の大切な方々に貴重なお時間を割いていただき、離婚してしまった今でも生涯胸に残る程とても有難く嬉しいひと時だったと感じています。

 

ただ、このお式は私にとってのもう一つの大きな分岐点にもなりました。

 

結婚式を挙げると決めた際、一応親戚にも招待状を送付したのです、どんな反応が返ってくるのかなという感覚で。

当然ながら父方は父親も含めて誰も来ませんでした。欠席の理由は体調やスケジュール等の関係ではなく差別的なものでした。

それを境に関係を断ちました。

この一件は、私が意図的に「人間関係をふるいにかける」という行為を行った最初で最後の行動です。

 

何とか関係を修復しようとしていた時代、ふと気付いたのです

「相手の気持ちを慮る心を持たない人と無理してまで仲を修復して何のメリットがあるのだろう」
「メリット…何もなくない??」と。

 

どれだけ話し合いの機会を持とうが分かり合えない人とは永遠に分かり合えない。

何が正しいとか何が悪いとかでなく、ただそれだけの事でそこに労力を費やすのは時間の無駄だな、と。

 

父方の祖父母は共に今も健在ですが、現在どちらとも危篤状態にありいつ死んでもおかしくありません。しかしながら、彼らが他界しても私はお葬式には行きません。
親族に会いたくないから。
子どもみたいな理由だなと思われるかも知れませんが…

もし母よりも父が先に他界した場合も同じくですが、私は一人っ子なので母を支えられる人が他にいない為、その場合はやむなく母親の心労を慮って行くかも知れません。

万が一、私が誰よりも先に死んだ場合は、母には「父方の親戚にはお伝えしなくて良い」とお願いしてあります。

ちなみに祖父母や父方の親戚は私が離婚した事も知りません。

 

今私が抱えている最も大きな懸念事項は、母が一番先に逝ってしまった時の事。

母には長生きしていただきたいです。