20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

元不登校の大人、株を買う。

久しぶりのブログ更新です

 

えー、株式投資というか資産運用を始めました

不登校の体験記をメインとしていたこちらのブログですが、以後、元不登校児の資産運用記録ブログになるかもしれません、ご了承ください。

義務教育をすっ飛ばしてたって株買えちゃうんだぜふへへ、今から勉強したってまだ間に合うでしょ(多分)

 

という訳で、以下私の基本情報と金融リテラシーや現状について 

 

みつまり基本情報

運用資金は、日々家畜用の米に塩をかけて主食にし、化粧水の代わりに水道水を使うという怒涛の倹約生活の中で貯蓄してきた銀行に眠っている余剰資金

約400万円

資産運用の勉強を始めたのは2019年の年末から

実際に投資を開始したのは2020年の上旬

ですので、現在運用歴は約7か月弱

 

みつまりの金融リテラシーについて 

金融関係勤務の友人に資産運用の基礎を教えてもらい

  1. 資産運用の成果の8割はアセットアロケーションで決まる
  2. 業種や分野の分散投資
  3. 時間の分散投資

この3つのご教授を賜るも、3つ目の「時間の分散投資」を怠った結果、コロナショックに見舞われ投資2か月足らずで数十万を失いビビる

その後半年で失った金額をそこそこ取り戻しちょっと落ち着いたので再びリバランスと勉強

安倍首相が辞任した瞬間の日経平均下落に過剰反応してなぜかJリートを全売却←今ここ

 

投資スタイル
  • インデックスメインの長期運用
  • 現在は海外ETFがほとんどで高配当銘柄の比率高
  • 目標は年利5%(インカムゲインキャピタルゲイン
  • 投資1年生なので「株主優待」にも興味津々なため、個別株も保有
  • できれば配当金で暮らしたいもう働きたくない配当金で暮らしたい配当金配当金はいt

以下、現在の資産運用内訳です

 

日本株取得内訳

f:id:mitsumari_blog:20200830092433p:plain

外国株取得数内訳

f:id:mitsumari_blog:20200830092509p:plain

この他に投資信託をいくつか保有

インデックスメインとか言っておきながら、海外個別株買いすぎです

アロケーション比率

f:id:mitsumari_blog:20200830092229p:plain

 

2020.8.30時価評価比率

f:id:mitsumari_blog:20200830092252p:plain

投資総額:2,536,341円

時価評価額:2,685,003円(うち配当金14,085円(1ドルは105円換算))

利回り:4%

 

時価評価額が10万円ほどプラスになっているのは、分割発表前に購入したApple(APPL)と、勢いに任せて購入したテスラ(TSLA)の株価暴騰の影響です

アメリカのグロース株バブルが収束するタイミングで下がると予想していますが、それがいつなのかは不明。

 

フィリップモリス(PM)を保有しているのは「80/20company」とのことで、少しでも税金の支払いを軽減したいため

【80/20companyとは】

総収益の80%以上を米国外から得ている会社のこと。そのためPM株を保有している米国外の株主は、通常配当金から徴収される配当源泉徴収税の10%のうち、98%が免除されるそうです。

 

先週末、首相の辞任があったため、来週からの動きがさっぱり読めません。恐らく色々と割安で買えるチャンス到来なのだろうけど・・・そういえば、先週末のとある経済番組にてアナリストが「日経平均は20500円まで下落する可能性がある」とお話しされていました。落ちるナイフこわい・・・。

 

以上です。

『絶叫』葉真中顕 -読書感想文-

自宅での孤独死後、発見が遅れたことから飼い猫10数匹に亡骸を食べられ、死因や個人が特定できない程の姿になって発見された鈴木陽子という女性の一生と、孤独死に不自然さを感じ彼女の生きてきた痕跡を辿る女性警官の物語

主人公である鈴木陽子が私と同年代である事、私の旧友と同姓同名である事に不思議な縁を感じながら読み進める

孤独死に始まり、NPOを称した団体によるホームレスの生活保護囲い込み、生活保護そのものに対する様々な見解、ブラック企業、派遣労働、貧困、風俗産業への転落、虐待、DV、買い物依存、アダルトチルドレン

不謹慎ではあるが、私の最も興味がある「現代が抱える社会問題」のフルコースがこれでもかと詰め込まれており、それらの社会問題が顕著になってゆく過程の環境や心理状態を丁寧に描く中で、著者は読者に対し重苦しい課題を問うているように感じた

それはまるで、ミステリー要素を含んだ『現代版・嫌われ松子の一生』のよう

社会問題に触れているとはいえフィクションはあくまでフィクションだから参考にならない、との意見を耳にすることがあるが、私は社会の事象に裏打ちされた物語に関しては、細部は異なれど十二分に知識や想像力を深める機会になるのではないかと考える

また、一人称視点・二人称視点と切り替わりながら二転三転する入念に練られたストーリー展開は、大変面白く読みやすいものだった

そして、ラスト30ページ、更には最後の4行でまさかまさかの展開に

f:id:mitsumari_blog:20191117085555j:image

余談ですが、葉真中顕さんて「はまなか けん」だと思っていたのですが、「はまなか あき」だったのですね

 

『友罪』薬丸岳 読書感想文

f:id:mitsumari_blog:20190607143246j:image

もしも親しくなった友人が少年の頃に人を殺していたと知ったなら…それが過失ではなく残虐なものであり、犯罪当初は愉快的で猟奇的な思考のもとに行われたものだったなら…

人を殺めてしまった人が「生きていく事で償う」ことの本当の意味とは

殺人事件の加害者と意図せず友人や恋愛関係になった人達の目線から描かれる様々な人間の苦悩の物語

数十年ほど前に起きた神戸の事件を彷彿とさせる内容ではあるけれど、著者は解説のインタビューにおいて「あの事件とは全く違うと強調しておきたい」と語っているため、あくまでフィクションとして描かれたもののようである

近しい人が犯罪者と知った途端好奇と敵意の目を向け手のひらを返す人、反射的に嫌悪感を抱きながらも果たしてそのような形で切り捨てるのが最善策なのかと逡巡する人

後者にあたる友は、自身も過去に大きな後悔や罪悪感を経験し今もなおその思いから逃れられずにいる

彼と最も近しいという立場により周囲から様々な意見をぶつけられ、自身も大きく揺れながら、根底の部分で抱えている葛藤が彼の中で他者を排除する事にブレーキをかける

この作品はタイトルの通り友の罪に対して葛藤する主人公の視点で描かれているため、加害者少年の内面はあまり描かれていないのだけれど

自分がもし主人公と同じ立場に遭遇したならどう感じどんな行動をするのだろう、もしくは恋人なら、家族なら、同僚なら、マスコミ関係者なら…

などと読み進めながら考えてしまうように、加害者を取り巻く周囲の様々な視点が描かれている

「生きていく事で償う」ことの本当の意味とは、生きる中で嬉しい事や楽しい事や幸福感を経験した時、それと同時に「被害者達から自分はその全てを奪ってしまったのだ」という気付きを得る事なのだろう

そして加害者がいつかそのような気付きを得るためには機会の場が必要で、その機会を作れるのは皮肉なことに生きている人間しかいないのである

 

 

『瑕疵借り』松岡圭祐 読書感想文

f:id:mitsumari_blog:20190324195949j:image

松岡圭祐氏といえば『千里眼』や『催眠』を読んで以来、およそ20年ぶりに手に取った


瑕疵(かし)とは、不動産業界で言うところの物件の欠陥の事であり、いわゆる事故物件、訳あり物件の事を指す


土壌汚染や近辺に騒音問題がある物件は「環境的瑕疵」

火事や孤独死や殺人、自殺等が発生し、目には見えないけれど心理的に忌避されるものを「心理的瑕疵」と称する

 

不動産会社は瑕疵物件の入居希望者に対して事前にその旨を伝えなければならないという「告知義務」があり、それ故に住みたがらない人が多いため賃貸料を下げなければならない


ただ、人為的に起きた心理的瑕疵の場合は一度人が住み、更に瑕疵状態でなくなる根拠が示されれば法的な告知義務は無くなるそうである


そこで登場するのが、その告知義務をなくすために訳あり物件に住む事を生業としている「瑕疵借り」

実在するのかは不明

単に住むだけでなく、瑕疵の原因を究明し問題解決にもあたる


物語は、意図せず物件を瑕疵に認定されてしまった元居住者と、その周囲の人々を描いた4部作


自殺・孤独死・不自然死と、ひと言で済ませると「死」の一文字が重く物騒に感じる事柄も、故人の背景に目を向けると彼らの「生き様」が垣間見えてくるもの


どの人も困難を抱えながら懸命に生きた過去が浮かび上がり、そう感じると死にばかり着目する必要は無いのだなという考えに至る

生を目の当たりにすると死は霞むものなのかもしれない

 

それに、これは個人的な考えだけれど孤独死は特別不幸な事ではない、誰にだって起こりうる事なのではないか

結婚して子宝に恵まれたとしても、子どもが独立して世帯を持ち、その後配偶者と死別もしくは離別した場合、二世帯住宅でもない場合は単独世帯になり、突然死したら「孤独死」扱いになる、何ら不自然な事ではない


書籍の中で明言こそされていないものの、事故物件のデータベースとして有名な大島てるさんのサイトの事が出てきたり、福島原発作業員に対する世間の偏見について語られていたりと、現代的な事柄が取り入れられており、興味深く読み進められました。

祖母が他界した

多分享年91歳くらいだったかと

父方の祖母なので、通夜や葬儀には恐らく父方の親戚が集まるのだろう、いや、聞いてないから分からないけど多分そうなのだろう

父方の親戚とは以下の記事に書いた通り、ふるいにかけた時から「父方の親戚の沢山来るであろう祖父母の通夜や葬儀には行かない」と決めていた

onorenomai.hatenablog.jp

などとまあ口では言っていたけれど

現実は体験してみなければ分からないものだからいざその時になったら私はやっぱりお別れに行くのかも知れないな、いやーやっぱ行かないかなーいやでもなーえーわからん!わからんぞー!と言う風にも少しだけ思っていた

それが今から10年前

 

そして祖母が他界した現在、やはり通夜葬儀には行かなかった

母親には祖母の生前からその旨を伝えていたのだけれど、いざその時になると「え?本当に来ないの?!周囲になんて言えばいいか分からない、困る」と母

私は葬儀の出欠程度の事で周囲からどう思われようとかまわないので「ただ行かないと言っていた、理由は知らないと事実だけ伝えればいいじゃない」と説得を試みたのだけど、親戚と私の間に立ってくれている母がだんだん可哀そうになり、感染症になってどうしても外出できないという設定をたてた

不登校になった頃もこうして親戚の前で場当たり的な嘘を言わされてたなぁ、あの時と変わってないな、私が言わせる側に回ってるけど...などと思いつつ

 

 

他界した祖母が認知症と診断されたのは今から5年ほど前

 

「おばあちゃんが夜な夜な倉庫に隠れるようになった」と母から連絡があった

 

いつも隣り合わせのベッドで寝ている祖父を「知らない男が勝手に横で寝ている」と認識していたらしい

当時の祖母の気持ちを想像するに、それはさぞ怖かっただろうと思う

夜中に自分の部屋で知らない男が寝ていたら私だって逃げるし何なら警察行く、おばあちゃん知らない男に襲われなくて良かったね

 

そんな事をきっかけにやがて祖母は特別養護老人ホームに入る事になったのだけれど、入所して数ヶ月と経たないうちに認知症とは関係のない脳の病気で倒れ、あれよあれよと言う間に合併症か何かで「危篤です」と医師から告げられた

それが今から3年前

 

無事峠を越えて復活するも、一気に弱った祖母は消化器官や嚥下機能低下により口から物を食べられなくなった

 

医師からの「このままでは体力低下で自然に亡くなります、ですが、胃ろうすればまだ生きられるかも知れません」との言葉により、周囲から愛されていた祖母の身体はお別れを許されず、あれよあれよと胃ろう手術を施され立派な寝たきりおばあちゃんになった

認知症は順調に進行しており自分の置かれている状況もあまり分からない、けれど、母によると祖母は周囲に迷惑をかけている事をしきりに気にしていたらしい

 

祖母は、まだ元気な頃

「寝たきりになるくらいなら死なせてな、胃ろう手術をして自分の事も分からんと寝たきりのまま生きてる人たまにテレビで見るやろ、周りに迷惑だけはかけたくない、あれだけは絶対嫌や。」

などとよく話していた

 

そんな『周囲を気にかける祖母』の祖母らしい姿を見て「おばあちゃんはまだ元気だ、まだやれる!」と周囲は一筋の光を見出し祖母の寝たきり延長人生に拍車がかかる事となる、寝たきり高齢者の社会的メカニズムここにあり

 

Oh...おばあちゃん、貴方の生み育てた立派なお子さん方々が貴方の1番拒んでたやつを選択してもうてる訳ですけども…私にはどうしてあげる事もできないやで、おばあちゃん…えー、ドンマイ(みつまり心の声)

 

そんなこんなで認知症から端を発し、寝たきり問題、本人の承諾が曖昧な胃ろう手術、尊厳を守られない生死等、絵に描いたような社会問題をはらみまくり祖母は他界した

 

話は変わるのだけれど

私が最近よく行くスーパーに見切り品のうどんが3玉17円で売られている、衝撃の安さである

もうこれスーパー側としては「産廃処理代浮かせたいから買って」みたいな事だと思う、当然まとめ買いして冷凍庫に後生大事に保管している


という事をふまえて話は冒頭に戻る

 

祖母の他界にあたり、満を持して

「私は通夜葬儀に参列しない、なぜなら今から感染症(という設定)になるから!ババーン!」

と母に告げたところ

「分かった、そういう事にするからせめて弔電打って」

と言われまして

 

え、弔電、なんで?おばあちゃんもう死んでるから電報送ったって読めないよ!えええ…となったのですが

「そっか、色々あったけどこれがおばあちゃんとのこの世での最後の...えー...なんだ、最後の...まあアレ...アレだもんな...これも自分なりの弔いかも知れないな」

と思い直して弔電を送りました

 

 

 

のですが
その弔電というのがですね

 


差出人名含めて25文字で

基本料660円

5文字追加ごとに90円

改行は1文字扱い

 

例えば・・・
『謹んでお悔やみ申し上げます

心安らかな旅』

 

自分の名前除いたらこれで20文字

何だこれ

心安らかな旅とは(哲学)

 

今やってる龍が如くオンラインでさえ1度も課金した事ないのに何なのこの地獄の課金システム

 

ですがしかしここは140字縛りのツイッターをだてに10年以上やってないんだぜという意気込みで持ち前の文章力を発揮しまして

葬祭マナー忌み言葉NG縛りで自分の氏名も入れつつ33文字で祖母へ宛てた最後の気持ちを書けたのですが

 
台紙0円のを選んだのに

なんやかんや手数料込みで総額1200円

 


先述したうどんに換算したらなんと210玉

という・・・・・

 

 

そんな、うどん1年分の弔いの言葉がこちらです

 f:id:mitsumari_blog:20190218223009j:image

【書けなかった分】

おばあちゃん、別に待ってすらいなかったかも知れないけれど全然お見舞い行かなくてごめんなさい、実家にいた頃は休日必ず一緒に3時のおやつを食べてお喋りしたのに実家を出てからは元気だった頃もお盆やお正月に全然帰ってあげなくてごめんなさい、それでもし寂しい思いをさせていたなら本当にごめんなさい、もし今までおばあちゃんなりに可愛がってくれて気にかけてくれていたのなら本当に有難うございました。大変だった3年間どうにもできずごめんなさい。

本当に本当にお疲れさまでした。

 

以上です。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』東野圭吾 読書感想文と少しだけ不登校の話

謳い文句に堂々と「不登校当時の体験談を語る」と銘打っているにもかかわらず、完全に読書感想文というか自分の読書記録兼備忘録ツールと化しつつあるこちらのブログにようこそお越しくださいましたそこのあなたに感謝申し上げますとともに謝罪の意を表明いたします

私、本を読むのが好きなんですよ

学校の勉強は嫌いだったんですけど何かしら勉学的なものはしなきゃなという気持ちは昔から持っておりまして、自分が楽しみつつ勉強も出来る一石二鳥な事は無いだろうかと昔から色々と考えて自分なりに行き着いたのが読書でした。

いつからか、一冊読了した後には必ず感想文を書くようになりました

どんなあらすじだったのか後で思い出せるようにという目論見もありますが、私が感想文を書く一番の目的は

「読書でインプットした言葉や気持ちや考えを、自分なりの言葉で表現し伝えられるようになりたい」

という事

友人からの受け売りだったような気もするのですが、私の中ではインプットだけではなくアウトプットまでが読書なのです

私の住む国は言論の自由が許されている日本

とはいえ「自分の考えを筋道立てて言葉にする」というのは、私は意外と難しい事だと感じています

だからこそ、私は書きたいのです

私なりの勉強です

不登校のワードでこちらの記事にいらした方は「中3から学校行ってなくて高校中退してても何年かすりゃー良くも悪くもこれくらいの文章は書けるようになるんだな」と、何かしらの目安にしていただけますと幸いです。

 

以下、掲題の書籍の感想文です

f:id:mitsumari_blog:20190214192110j:image

閉店後の郵便受けに相談事の手紙を投函すれば翌朝には裏手の牛乳箱に店主がアドバイスを入れてくれる
かつては「ナヤミ解決の雑貨店」として評判だった小さな町の小さな雑貨店

 

雑貨店の過去など知らず、閉店して30数年が過ぎているその場所にたまたま忍び込んだ少年達
そこに突然手紙が投函され…
という物語

 

雑貨店のポストに手紙を投函した悩める人達
悩みに真摯に向き合ってきた店主
現代を生きる少年達

 

様々な人達の当時の背景とその後の経緯

過去と現在と未来が1つ1つ短編集のように繊細に描かれており、フィクションだと分かっていながらも、深刻な悩みを抱えた人のその後を知れてほっとしたり驚いたり

 

たとえ小説でも、不可解な出来事に対して「奇蹟」や「ファンタジー」を落としどころにする物語は何となくズルいなーなどと思ってしまうのですが

 

こちらの作品は、過去と未来が複雑に交錯しながらも、点と点が線として繋がり、線が弧を描き円になっていくようなストーリー展開で、これはまさに奇蹟だな、と、実感した次第です

 

 

余談:この言葉はスラング的なものだと思っていたのですが、デジタル複製に関する禁止事項が「自炊」と記載されていて粋だなと思いました。

f:id:mitsumari_blog:20190214192117j:image

以上です。

『犯罪者 -クリミナル-』太田愛 読書感想文

f:id:mitsumari_blog:20190607152538j:plain

通り魔殺人の陰に潜む
企業と政府ぐるみの大きな隠蔽工作
その真相を白日のもとに晒そうと
小さな力が集結奔走する物語

大企業と政治家の癒着や
保身に走る人々が生々しく描かれており
社会では実際にこのようなことが行われているのだろうなと確信に近い想像をしてしまう

作中で「この人は死んで欲しくない」と感じる人が容赦なく命を落とすためなんとも救われない気持ちになるけれど、その分残された者たちによる勧善懲悪的な後半部のコントラストにほっとする

また、伏線の張り方がとてもさりげなく
ラストに二転も三転もするような振り幅が大きな物語の展開に反して、ごく自然というか何というか、常識的と感じるほどに
実に丁寧に筋書きが練られており
その技術にただただ敬服するばかり

太田愛さんの作品は現在3作出版されており
いずれの作品も同じ人物達が主役で
出版の時系列に沿って各々の成長した姿が描かれている

私はこの事を
2作目の『幻夏』を読み始めるまで気付かず
天上の葦→幻夏→犯罪者
と、新しい作品から読み始めたため
天上の葦と幻夏の登場人物の過去を思わぬ形で知れた気がして、とても感慨深い思いでした。

抑揚

抑揚が苦手である

日常と非日常
平日と休日
出会いと別れ
始まりと終わり
手に入れるものと手放すもの

人生はこの繰り返しなのだけれど
気分が上がったり下がったりするのは、とても疲れる

この様な考えから
非日常に分類される旅行は好きではない

非日常に慣れる事に時間を要する私は
やっと非日常に体が慣れた頃、再び日常に戻らなければならない事に対して
旅先で体験する楽しさよりも自身に内在する苦痛の方が上回る

絶景を見に出かけたりパワースポットに行く事よりも
毎日同じ場所でルーティーンを繰り返す事の方が
自分にとって心の安らぎに繋がる

「終わり」を経験しなければならないくらいなら
最初から「始まり」など無ければ良い

いずれ手放さなければならないものは、手に入れない

この様な思考は
外的要因から徐々に内的要因へと向かう

親や友人や知人
出会った人達とのご縁をどんなに大切にしていても
この世は寿命という避けられないものによって
必ず別れの時が来るように出来ている

別れという悲しさを経験しなければならないくらいなら
最初から出会いの喜びなど手放したい

大切な人であればある程、その想いは強くなる

親に恵まれなかった人に怒られるだろうけれど
親なんて、最初からいなければ
別れを辛く感じる事も無いのに

私の身にも、必ず死が訪れるなら
初めからこの世に産まれて来なければ良かったのに

 
なんていう変なポエムを考えていても
淡々と明日はやってくる

淡々と陽は沈み、淡々と陽は昇る

そしてふと気付く

それらすべての事象に抑揚をつけているのは自分自身だと

 

そんな訳で、おやすみ世界。

元不登校児達は今 Vol.2

こんばんは

先日『昔学校に行っていなかった』と言う共通項を持つ友人達と食事に行きました。

その事を少しツイッターに書いたところ、普段は本当にただの独り言でしかない私のツイートに珍しく若干の反響がありました

f:id:mitsumari_blog:20180811050216j:plain

f:id:mitsumari_blog:20180811050231j:plain

私のツイアカで32ファボ9RTは奇跡のバズり具合

 

それに加え、このブログで1番多く読まれている記事が『元不登校児達は今』という記事でして、意外と色んな人が昔不登校だった人の今を気にしているのだなと改めて感じた次第です。

ですので、本日は先の食事会のレポを書ける範囲で少し。

 

集まった人(年齢は2018年現在)

T君(40歳)

f:id:mitsumari_blog:20180811052017j:plain

今回の食事会を企画してくれた人。こちらの記事にも書かせてもらったT君です、彼の経歴は↓こちらの記事からどうぞ。

onorenomai.hatenablog.jp

G君(40歳)

f:id:mitsumari_blog:20180811051949j:plain

小1からずっと学校へ行かず大人になったG君。10年来の知り合いなのに挨拶程度しかした事がなく、今回の食事会で初めてゆっくり話をしました。なかなか大変な幼少期を過ごしていたそうです。4年制大学卒業(だったかな??)。現在は似た境遇の人達と共同生活をしています。

H君(年齢忘れたけど30代前半)

f:id:mitsumari_blog:20180811052002j:plain

G君同様に、不登校だけでなく、この様なパブリックな場では書けないような、なかなか複雑な家庭環境で育ったH君。奨学金で4年制大学卒業。現在は本人曰く「同居人」と同居しています。

私(38歳)

f:id:mitsumari_blog:20180811071002p:plain

普段は付き合い悪いくせに紅一点な場所だと高確率で出現するでお馴染みのわたくしです、現在は一人暮らし。不登校歴は↓こちらから

onorenomai.hatenablog.jp

 

私は現在、人にとある事をお教えするお仕事、私を除く3人は同じ職場で福祉の仕事をしています。

 

食事会レポ

皆の仕事が終わった夜に集合。場所は近所で美味しいと評判の中華料理屋さん、美味しいだけあって値段も麻婆豆腐が千円以上するそこそこ高級なお店でした。

コースではなかった為、皆でメニューを見ながら何を注文しようかと相談。

私は今、諸般の事情により結構お金が無いので何を頼もうかなと考えていたところ

T君「それぞれ食べられる量とか個人差があるし、お金の都合もあるだろうから頼みたい物を頼んでシェアできるものはしたらいいんじゃない?僕はシェアするわ」

H君「ああ、僕も大食いでめっちゃ食べてしまうんで、割り勘だと食が細い人は損ですもんね、そうしましょう」

という提案をしてくれたので、遠慮なく

私「じゃあ私、ライス小(150円)だけ頼んでシェアしてくれるものをおかずにしてもいいかね?」

と、協調性の無さを発揮したところ

T君「ええwwwwwそれwwwwいや、うん、良いと思うわwww伝説になるわそれwww」

と言ってくれたんですけど、さすがにアレかなと思い、ライスとなんかもう一品を注文。

 

「いやーしかし、学校行かなくなった頃はさあ、学歴も無いし勉強もしてないし、そんな人間が生きていける筈が無いと思ってたから、もう人生終わりだとか大人になる頃には死んでるんやろなとか思ってたけど、まさかこんな年になってこんな日が来るなんてねえ」

「いやホント想像もしてなかったよねえ」

 

という事から、いつから学校行かなくなったのか、その頃はどんな風に過ごしていたのか、上の画像にあるツイッターに記したような事を話しました

その後それぞれの近況から今後何をしたいかという話題へ、色々話をした中から一部抜粋。

 

H君「とりあえず引越ししたいですね」

彼は数年前、空き巣に入られた事があります。

場所的にも空き巣に狙われやすそうな部屋に住んでいるため引越ししたいと昔から話しているのですが、お金の管理が苦手なのでなかなか実現できないとの事。

空き巣に入られた時、私は彼とすでに知り合いだった為当時は驚きました

後日話を聞いたところ、空き巣が最も狙う現金はほぼ部屋に無く、通帳も見られた形跡があったものの残高30円だった為盗まれず、結局、小物類や貴重なエロDVDのコレクションを持っていかれ、後日保険会社の男性担当者にDVDのタイトルをフルで伝えたところ「それは盗られたら相当辛いやつですね・・・」と心底同情されて他の物は相場価格の保険金しか下りなかったのにエロDVDだけ定価で保険金が下りたという、他人事で申し訳ないんですけどこれは何度聞いても笑ってしまうエピソードです。

 

G君からは

「職場の冷蔵庫にあるお酒を仕事中普通に飲んでめちゃくちゃ怒られた」

「原付免許を取り消されたけどその後も無免許で大学に原付で通ってた」

という自由すぎるお話を聞けました

無免許でも意外とバレないですよ(*´ω`*)と、G君はとても優しい微笑みを浮かべながら話してくれたんですけど

いやいや「バレないですよ(*´ω`*)」とかいう問題じゃないと思うのですがw

みたいな、その柔和な表情とエピソードのアンバランスさが面白かったです。

 

私はといいますと

「今困っている事は無いか」と聞かれ

「うーん、もともと生き方が不器用やからなぁ・・・」と呟いたところ、全員から『いやそれ多分ここにいる皆そうだと思うけど』というツッコミを受けて、ですよねーwwwみたいな

 

さいごに

不登校を経験した人の全てが当てはまる訳では無いとは思いますが、少なくともこの記事に登場した4人は『不登校だった』という幼少期の大きな躓きから、いびつな形のまま大人になったのだなと感じます。

ですので不登校以外の事に関しても失敗談に事欠くことはありません。

ですが、辛い経験をした分、他者に優しく、失敗を笑い飛ばすたくましさもあり、共通項を持った者同士で共有した時間は気楽で心地よいものでした。

もう40代に差し掛かろうとしているにもかかわらず、生きていく上で必要な協調性も社会性も欠けている私ですが、これからも同じく協調性や社会性が欠けている彼らに助けられ、私が力になれる事があれば手を差し伸べ、支え合いながら生きて行ければ良いなと考えています。

f:id:mitsumari_blog:20180811075029j:plain

 以上、元不登校児たちによるお食事会レポでした。

杉田水脈という人の生産性と、私なりの生産性の相違について

どうもこんばんは

杉田水脈という人の
『LGBTは生産性が無いから社会の迷惑』
という発言についてなんですけど

生産性を掲げて一定数の人を殺しにかかるこの考え方
これ何なんですかね
政治の事よくわかんないんですけど
生産性が無いって言ったら誰かからお小遣いでも貰えるシステムなんですかね

とにもかくにも杉田水脈という人は、地球上に生存する70億の人間が『性行為のみ』でここまで増えたと思っているのだろうと考えるのが妥当でしょう

思考回路としては
『性行為→出産→性行為→出産(以下ループ)→70億人』
みたいな事ですね、大丈夫か。

LGBTや障害当事者、生き辛さを抱えている人が、批判・論破されやすい手法として『生産性が無い』という言葉は定石のように使われます。

不登校の人も、社会不適合という不適切な烙印を押されている時点でこれに該当するでしょう、だから親は心配してしまうし、当事者も世界の終わりみたいな事になる。

ですが私はこれについて「果たしてそうだろうか」という疑問を持っています。

 

ここで私なりの『生産性とは何か』について少しお話したいと思います。

 

狩猟に始まり、土地を耕すと自給自足出来ることを発見し、土器を作る文化から石器や鋳型作りに進化し、家畜・養殖を行い、なんやかんやで農業、漁業、加工、建設、医療が発展してそれらのお蔭で人口が増加したのが現在の人間社会です。

沢山の人が知恵や知識や技術を共有し合い、支え合い、文化が生まれた事で、私達は生きながらえているのではないでしょうか

生まれてきた人間が全員『出産可能な年齢になったら全員セックスと出産しかしない』という知能しか無ければ、人間なんて今頃地球に1人も残ってないでしょ。

人間って、例えばフグとかタランチュラとか猛毒があるものでも必死で毒を抜いて食べるじゃないですか

道端に生えてるキノコも雑草も貪欲に口にして家畜の内臓も捨てずホルモンにして『知恵と技術と協力』で文化に取り入れ糧にして生存してきたのが人間でしょ

『生きられない世界でどうやって生き延びるか』
それを考えてきた先人がいるから今がある

『生産性』というのは、このように時代に応じて柔軟かつ多様な工夫で進化してきているものであり

『生きられない世界でどうやって生き延びるか』という多様な工夫が産まれる発端には多様な生き辛さを持った人達が存在していたと考えます、LGBT当事者や障害当事者が全く関与していない訳がない。

ですので『生産性』は現代社会に照らし合わせて有る無しで切り捨てる為に使う言葉ではないと考えます。

福祉だって、前述した通り人の知恵と工夫から生まれたものです
それらを忘れてしまったら人間は滅びます

時代に応じた知恵と進化が無ければ、現代に辛うじて残ってる人間はまだ全員全裸で土器作ってるでしょう。インターネットも国会議事堂も存在しないでしょう。

でも、実際はそうじゃない

その知恵の恩恵をあの杉田という人も多分に受けているはずなのに

それなのに
今の技術も文化もぜーんぶ初めからあった事を前提として

『父と母が性行為して自分が産まれた→自分も性行為して子ども生産した(自分尊い)→性行為で出産できない人は生産性云々←今ココ』

 

これは一体どういう事でしょう

 

以上です。

不登校の人へ -2学期までのカウントダウン-

中3から学校に行っていなかった私ですどうも。

始まったみたいですね、夏休み

多くの人は、夏を満喫する楽しい長期のお休みかも知れません

でも、普段から学校に行っていない人達や、この夏までは学校に行く事を頑張ってきたけれど本当はしんどくて、やっとお休みになったと感じている人達は、夏休みを満喫する気持ちになれているでしょうか?

 

『2学期までのカウントダウン』

が始まった感覚ではないでしょうか

 

夏の暑さも

空の青さも

プールではしゃぐ楽しさも

夏祭りの賑わいも

暑い所で食べるアイスの美味しさも

何もかも全く感じる余裕がなく

登校日までの日々をただ毎日引き算して「あと◯日経ったら学校に行かなければならない」「学校に行くように言われるかも知れない」なんて事をずっと考えていたりしないでしょうか

私が学校に行っていない頃、夏休みはずっとそんな不安を抱え、心を消耗しながら毎日を過ごしていました。

実家に置いてある家族写真には、夏の快晴に全く似合わない不自然なほどヒョロヒョロで真っ白で死人のような顔をしてたたずんでいる15歳の頃の私の姿が残っています。

不思議なもので、普段から学校に行っていないはずなのに、なぜかこの2学期初日の

『登校しなければならない感』ってすごいですよね。

「普段から学校に行っていなくて毎日が夏休みみたいなものだから、夏休みなんて関係ないでしょ」なんて思われがちなんですけど、実際は違うんですよね。

ところで、私は今これを、移動距離2時間もかかる遠方に向かうための電車に揺られながら書いています。

私の年だと、今日は平日なので、ほとんどの人は今頃仕事中なんですけどね

私は窓から見える海をのんびり眺めながらこれを書いています。

f:id:mitsumari_blog:20180724165923j:plain

もう学校に行く年齢では無いし、私も今日はお休みなんだけれど、平日にのんびりしていると、何となくあの頃の罪悪感みたいなものを、今でもふと思い出します。

 

ではまたね。

元不登校児(38歳)逃走する

どーもー義務教育から逃げて逃げて逃げまくって生き延びてきたみつまりです宜しくお願いしまーす。

 

先日ノリでLINEスタンプってのを作ってみたんですよ。

 

ちょっとまって「今更スタンプかよ」とか言わないで

まー聞いてくださいよ。

 

いやね、あれ凄いですね、最近ってアプリから自作した適当なコラ的な画像を8枚用意するだけでLINEスタンプの申請が出来るんですね。

有料のスタンプとして、誰かが購入してくれたらお金貰える本気のやつです。

 

ちょっと前は、きっちりピクセル数合わせた画像を何十枚と用意しないといけなかった気がするんですけど、なんか「出来るよ」って書いてたもんで、適当にやってみたんですよね

 

そしたらさ

審査通っちゃったんですよねwwwwwww

それがこちらです

↓みつまり作成とり風LINEスタンプ↓

line.me


まさか通ると思ってなかったんで、本当に物は試しのすっごい雑なスタンプだし、しかも有料なのにたった8個しかないんですけど、個人的には結構気に入ってます。さっきから「適当」とか「雑」とかゆーてますけど買って下さった人ありがとうございます。買ってない人は是非ともご購入下さい。

 

逃走の件

なんていう話はどうでも良くて、掲題の件

f:id:mitsumari_blog:20180422001907p:plain

ここ最近、いつも以上に逃げたらいけない場面で結構逃げている私なんですけども
今日は「逃げても良い場面で逃げたお話」をさせていただきます。

 

往年のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』では、主人公の少年が「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ」とか言ってるので「逃げちゃダメ、絶対」みたいな事が割と皆さんの頭の中に刷り込まれていたりすると思うんですよね

 

実際、逃げちゃダメっつーか逃げない方が得策な場面も確かにあるんですけど、この世には逃げても良い場面というのもたくさん存在します。

 

私には、日本に現在も生息している人物の中に「絶対会いたくない人」というのが何人かいらっしゃいます。ちなみに、揉めた末に退職した会社の上司くらいのレベルはそれに該当しません。

 

これをご覧になっている現役不登校の人の中にはイジメに遭った人などもいらっしゃるかと思います。私はイジメには遭ったことが無いんですけど、直近でイジメられた、今もイジメられてるよーなんて人は、イジメてくる相手とは会いたくないんじゃないかなと思います、わかんないですけど。

 

皆さんは会いたくない人と会ったらどうするんですかね?周囲の大人は「逃げてばかりいるからいつまでもいじめられるんだ、立ち向かえ」的な事を言ったりするイメージがありますけどどうなんでしょうか?そうでもないのかな?

なんにせよ、イジメられた経験のない私にも、会いたくない生物ってのがいるんですよ

 

翻りまして、つい数日前なんですけどその絶対会いたくないやつとニアミスしたんですよ、場所はマクドナルドでした。

ちなみに私は関西在住なのでマクドナルドのことをマクドって言います。
そのマクドの入り口付近に座ってたらですね、入り口から可愛らしい子どもが入ってきたんですよ

そのかわいい子がなんかこっち見てるんですよね

それで私も、なんか見た事ある顔だなーと思案していてふと思い出したんですよ「あいつの子どもやんけ・・」つって
恐らく、車かなんかで来てて、子どもだけ先に降ろして駐車スペースに車を停めてる最中だったのでしょうね

まだこちらは食事中だったし入り口付近だし、しかもその時私1人じゃなかったんですよね、知人と2人で食事してたんですよ。

 

こういう場面って、たぶん私くらいの年齢の「いい大人」だったら、最初は気付かないふりをしつつ、向こうが気付いて声かけてきたら、内心(チッ…)と思いながらも

いかにも今気付きました風を装って「あれー?誰々さんじゃないですかー!すごい偶然ですねー!」なんて事を言ったりして顔を合わせて挨拶くらいはするものだと思うんですけれど

 

「あいつの子どもやんけ・・」
と思った瞬間、相手が車を駐車中だろうと予測した私の身体はもう動いていました。

 

食べている途中のものも一緒に食べている相手も放置して荷物だけ持って入り口から逃走。

上着を着るふりをしつつ駐車場の方から顔が見えないように上着で顔を隠し走ったら目立つのでちょっと急いでいる風の人を装い速足で逃げました。
やーあの時の50mはなかなかの好タイムだったと思います。

 

もちろん、その一部始終を「あいつの子ども」は見ていた訳ですし「子どもに罪はない」のですが、そんな事を考えていちいち子どもを相手にしてたら鉢合わせ必至じゃないですか。

当然子どもに罪は無いですけど、こちらとしてはその子は「罪も無ければ仲良くする義理も無いし良好な関係性も何にも無い」ので、選択としてはまあ『ガン無視』ですよね。

 

そんな感じで、可愛らしい子どもはガン無視して一緒に食事している相手も放置して逃げました。

 

っていうだけのお話です。

 

ここまでの文章で既に4000字超えなんですけど
何が言いたいのかと言いますと

 

『逃げたければ逃げれば良い』

 

という事です

そして、逃げると決めたのであれば、全力で逃げましょう。

とある誰かと、死ぬまで二度と関わりたくない関わらないと決めたなら、どんな場面においても逃げ続ければ良いと私は思います。

 

逃げると決めたのであれば、いい大人なんだから~とか子どもがかわいそうだから~とか一緒にいる人に迷惑かけるから~嫌な事こそちゃんと向き合うべきだから~格好悪いから~逃げたら負けだから~とか、そういうの全部取り払って全力疾走しましょう。

一緒にいた人には後で事情を説明して謝罪すればいいのです。

子どもは知らんけど、内心「チッ・・・」と思いながら表面的な関係性を見せ付けるのもそれはそれでどうなの?って思いません?子どもってそういう事を察知する能力に長けてますから大人がつく嘘なんてすぐに見透かされます。

あの場面では、自分の精神衛生的にも子どもの精神衛生的にも全力疾走が得策だったと私は思っています。

 

これは、とある人のブログを読んでいて共感した事なのですが
逃げる事から得られる一番大きなメリット

 

『自分の心を守れる事』です。

 

「自分を大事に出来ない人は人の事も大事に出来ない」というのはよく聞くお話で、それと照らし合わせるととても矛盾している行為のようにも見えるのですが

接する事で自分の心がすり減るような相手とは、時間を共有すればするほど心が疲弊するだけです、自分を大切にする為にもバッサリ切り離し、自分の心の声に耳を澄ませて自分を守ってあげてください。

逃げてみて、やっぱり違うなと思ったならば、その時点から逃げるのをやめれば良いと思います。 

 

これを読んで下さっている方の中で対人関係に悩んでいる方がもしいらっしゃれば、ここは人口1億人を超える日本です、何人かバッサリ切ったとしても、あなたに理解を示してくれる人は必ずどこかにいます。

 

何より、あなた自身があなたの一番の理解者であって欲しいと思います。

 


以上です。

本質

昔ね、20歳くらいの時に不登校の子が行く適応指導教室にボランティアで行ってたことあるんですよ、今も多分全国にあると思うんですけど、不登校の子がとりあえずそこ行ったら、行った回数が学校の出席日数として加算されるシステムになってる所です。

それはそれでまあ良いなとは思うんですけどね
そこの適応指導教室の名前がね

『かがやき』

かがやき????
かがやきwwwwwwwwwwww

友人のピーもね、私がそういうのやり出したってんで、まあでももうピーもその頃にはそこそこ忙しくしてたんで別の日に行ってたんですけど

あ、友人ピーについては↓こちらをどうぞ

cake-peropero.hatenablog.com

かがやきてwwwwww何それwwww
普通に「適応指導教室」の方がまだマシじゃね?www
なんでそんな変な名前付けんの?てか名前必要なの?www

ってね
2人で笑ってました

的確にいうならば
馬鹿にしてました

多分意味わかんないと思うんで説明しますけど

こういう名前の福祉的な施設って結構多いなって思うんですけどね

この
かがやき
の何がおもろいかっていうとね

この名前をつけた人の思惑として
不登校の人は輝いてない』って先入観がまず前提にあるんですよね

で、今はわかんないけど、私達がボラで行ってた適応指導教室って、すーーーーっごいショボかったんですよ

どっかの廃園になった保育園だか、なんかそんな所をリフォームもせずまんま再利用みたいな
だから、全体的にもう「廃れてる感」が最初からあって
で、そこを主に取り仕切ってたのが、元教諭を定年退職したおじいちゃんおばあちゃんばっかで

そもそも不登校の人って、学校の教員が嫌いな人結構多いんですよ、理由は様々ですけど

で、人間て人生経験積めば積むほど頭固くなるじゃないですか
社会人として何十年と生きてきたとは言え、幼い頃から定年にいたるまで、特に大きな疑問も抱かずに学校から出た事ないまま育ったベテラン教員

そういう人達って、要は、おそらくですけどこの世で一番「不登校の気持ちが分かりにくい」人達なんですよね。

その人達のつけたネーミングが

かがやき

廃園になったジメジメ薄暗い所で

かがやき

あなた達は不登校だから輝いていないので(このジメジメ薄暗い所で)輝こうね!

っていうすっごいズレたメッセージ性を含んでるように見えたんですよね

でまあ、言ってる本人達は良い事をしていると思い込んでるので、言ってる人は輝いてるんですよ

それが滑稽でね
まあ、そういう理由でおもろかったです

で、「ここじゃ自分の輝きすら失せるな」と思ったので行かなくなったんですけどね

もうあんま行く気ないですみたいな事を市の教育委員会に言ったら

じゃあ家から出なくてかがやきに来てない子の家に直接行ってもらえないか
という依頼がありまして

かがやき

に行っていない子の家に直接行って、なんか一緒に遊んだりとかしてたんですけど

これにはもう1つのミッションがありまして
最終的には、誰とも会おうとしていない子と接する中で「かがやき」に連れてこれるように働きかけて欲しいと

まあ「分かりました」とは言いましたけど

いやいやいやwwwww
スパイじゃんそれwwwww
私かがやきのスパイなの?www
かがやきスパイwwwwwww
輝かしいスパイwwwww

みたいなね

当然そんな働きかけはしなかったです
当時の私は上に「それおかしくない?」と言うだけの頭が無かったので「なんかそう促しました」って言ったけどね

するわけ無いじゃんそんな事、いや、したかも知れないよく分かってなかったので、でもなんか「かがやき行ってみたら(白目)」みたいな、一緒に遊ぶのは全力でもその事に関してだけはすごい適当だった気がします。

不登校の人って別にそれで輝いてない訳じゃないし、無理に輝かそうとするにしても、あそこじゃせっかくの原石がただの石になるなと
なんかそんな風に思いました。

「かがやきの職員」は、今も輝いているんだろうなと思うと、おもろいなーと思います。

以上です。