20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

現在の30代は『不登校経験語り部第一世代』じゃないのかなーなんて事を

おこがましいながらも考えているみつまりですどうもこんばんは。

初めましての人ははじめまして。 

私が不登校になった20年前と現在とでは、一つ大きく異なる点があります。

不登校を経験した大人の存在』です。

すなわち私が10代当時に30代以降だった方々の事です。

私が不登校になった15歳の頃は、まだインターネットの無い時代でしたが、その前身となるパソコン通信で知り合った多くの大人達の存在に助けられました。

「画像も音声も送れないどこの誰だかすら分からない活字のみでしか伝え合えない」という限られた世界の中で、不登校に理解を示してくださり案じてくれる人達に巡り会えた私は、逃げ場のない家の中に唯一の心の拠り所を作る事が出来ました。

なにぶん子どもだったので具体的な事まではあまり覚えていないのですが、それはまさに九死に一生を得た思いでしたうきぴーさえさんそして東海林さん、ありがとう。

中でも特に親しくしてくださっていた方とは、20年経ってパソコン通信というサービスが無くなった現在でも現実世界で繋がっています。

しかし、身近に「自分も昔は不登校だったけど、現在こんな風に何とかやっているから君も大丈夫だよ」という風に話してくれた不登校経験者の大人との出会いは、18歳で通信制高校に入学するまで恐らく殆どなかったような・・・

とにかく前例が無い。仮にあったとしても、こんな風に気軽に情報を発信したり閲覧したりできる媒体がそもそも無かったので情報が共有されない。

その為本人も周囲の人もその選択肢を選んだ先に何があるのか分からない。

だから盲目的に「とりあえず学校へ行くことは正しい事だ」と考えていたような気がします。

現代で言うと何でしょう…良い例えが思いつきませんが、語弊を恐れずに言うならば整形とかレーシックみたいな感じでしょうか?

歴史が浅いから20年30年後にどうなるかは誰にも分からず、それを誰かが試して数十年の時を経て予後が順調である事が実証されて初めて受け入れられる、みたいな。

そんな時代に前代未聞の不登校という道を選択した私達がそこそこ社会経験を経て子どもを持つ親くらいの年齢になったタイミングで、こうして発信媒体までが整った現代は、私の時代には無かった現在進行形の人に「経験者として」寄り添う事が出来る時代だなと感じます。

「私達も貴方と同じように学校に行かない道を選択したよ、物珍しい目で見られたり周りの人に凄く反対されたりもしたよ。でも、今こうして元気で平和に生きてるよ。だから、貴方がもしそちらの道を選んだとしてもきっと大丈夫だよ。」

という様な事を身をもってお話出来るのは、やはり当事者にしか出来ない事だと思うのです。

実際、ネット上ではその様な発信をしている人達が既に沢山いらっしゃいます。

例えばこちらとか

www.futoko.org

この様なクラウドファンディング

readyfor.jp

全国で、不登校経験者が同じ思いをしている人の支えになりたいと声を上げています。

もちろん私も、ささやかながらそのような想いを持つ一人です。