20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

映画『嫌われ松子の一生』についての個人的解釈

不登校児で現けきぺろ共同ブロガーのみつまりですこんばんは。初めましての人は初めまして。

本日は、こちらの映画の解釈を記事とさせていただきます。不登校とあまり関係がないように見えますが、こちらの作品は「多数派からの逸脱、家族との関係性、未発達な自己肯定感・承認欲求、生き辛さ」という不登校と共通するキーワードが多く含まれています。

嫌われ松子の一生

f:id:mitsumari_blog:20170810123520j:plain

監督:中島哲也 主演:中谷美紀
原作:山田宗樹(未読です)
※ネタバレ含みますご了承ください。

あらすじは、タイトルの通り松子という女性の一生を描いたものです。もう少し詳細に言うと、いつも一生懸命なのに生き方が下手なあまりに七転八倒する女性の転落人生を描いたものです。

ライブDVD以外はほぼレンタルで済ませるっていうか一度見た作品は付き合い以外では二度以上見る事のない私ですが、この作品は愛蔵版を購入したほど好きな作品。邦画の中で一番好きな作品です。

f:id:mitsumari_blog:20170810235858j:image

でかい

この映画を鑑賞後に閲覧したレビューでは「松子は沢山の人に愛を与えた」との感想が多く見られました。あと「最後の最後で本当の愛を見つけた」とか。
私の感想としては「うーーん、松子の一生があまりにも凄惨だったから美化してあげたい的な心理が働くのかな・・・。」という感覚で。

以下、個人的な解釈です。


松子は「沢山の人に愛を与えた」のか?

確かに過去を振り返ればそうかも知れません、ですが、それは決して松子がマザーテレサのように慈愛の心に満ちていたからではありません。

沢山の異性と関わりながら・・・端的に言うと男をとっかえひっかえしながら生きる事となった結果論です。

松子が愛を与えた理由は「愛を与えてもらいたかったから」彼女は常に愛情の見返りを求めていました。

松子はどうしようもないくらい愛情に飢えていた女性だったのだと私の目には映りました。そして、愛され方を知らない女性でもありました。

 

致命的な父親との関係

その全ての根源は、父親との関係性にあります。
家族の(特に父親の)関心は、幼い頃から病弱だった妹にすべて注がれ(ているように松子には見えた)、何をしてもどんなに頑張っても結局は妹に向かう父親の関心、報われない想いに対する失望。

松子の心は満たされずに育ちます。

「このようにすれば人から愛されるのだ」という成功体験を経ていない為、愛してもらう方法が分からない松子。

松子の愛情の飢えは、例えるなら砂漠に置き去りにされ遭難している人のようなもの。
砂漠で遭難中の人にコップ一杯の水を与えただけではどうにもならないのと同じで、愛情を渇望している松子の心は、その他大勢の中の1人として愛される友情のような関係性では満たされないのです。
他者に対して「父親に求めていたレベルの愛情」を求めます。
そうでないと松子の心は満たされないのです。

f:id:mitsumari_blog:20170811013825p:plain

松子が父親を独り占めできたひと時

f:id:mitsumari_blog:20170811013658p:plain

それは夢のようで

 

他者との距離感がわからない松子

自然な成り行きとして松子は「相手にとって自分1人だけが特別な存在」として成立しやすい異性との恋愛に溺れて行きます。

誰かに愛されたくて愛されたくて愛されたくて、自分を愛してくれさえするならそれこそ誰でもいい。暴力を振るわれようが愛人的ポジションだろうが暴力団員に謎の密売の役を買わされようがなんでもいいただただ愛してくれさえすれば。

f:id:mitsumari_blog:20170811013228p:plain

蹴られても

f:id:mitsumari_blog:20170811013041p:plain

殴られても

f:id:mitsumari_blog:20170811012845p:plain

もう何が何だか分からなくても

「愛される」という経験を知らない愛され方を知らない松子のたゆまぬ努力は当然ながら全てが場当たり的で空回り。

松子は作中で『なんで?』という言葉を何度も呟きます。

f:id:mitsumari_blog:20170811011631p:plain

なんで!

f:id:mitsumari_blog:20170811011702p:plain

なんで?

f:id:mitsumari_blog:20170811011934p:plain

なんで

f:id:mitsumari_blog:20170811012329p:plain

なんで・・・

そもそも他者が「父親の代わり」になどなれる筈無いのです。

頑張っても頑張っても上手くいかない松子は徐々に自暴自棄になって行きます。

私の周りでよく「適切な距離の取り方が分からない人」という表現を聞きます。

おそらく私もそう形容される一人ですが、その様な人には大体これに似通った背景があると考えます。

 

自分を愛する為に必要な事

『自分で自分を愛してあげよう』と言うアドバイスをたまに耳にします。

しかしそれが出来るのは、ある程度他者との相互関係で自己肯定感が育ってからの段階の話であり、地盤に「自分はありのままでも価値ある存在なんだ」と感じる体験があってこそ。

少なくとも作中の松子の心中に関しては、そんな余裕は皆無でした。

周囲から手が差し伸べられ、松子自身がその手を握り返そうとする頃にはもう時すでに遅し。この作品は実に現実的な幕引きを迎えます。私はこの救いの無いラストも含めてこの作品が大好きです。

 

ここからネタバレ大オチ

松子の人生の幕引きとは別で、後半に作品としての大きなオチがあります。

この作中で2時間に渡って語られる松子の人生ですが、その松子の部分の語りの全ては晩年の松子が自分で紙にしたためていたものだったのです。一体誰に宛ててしたためているのかと言うと、晩年に松子が愛したたった一人の人・・・。

そう光GENJIの内海くん」です。

f:id:mitsumari_blog:20170811010349p:plain

そう、内海くんです

勿論、ただのいち視聴者でありファンです。

その内海くんに「自分の人生について知ってもらいたいから」と言う理由で、膨大な量の手記を綴り(多分ジャニーズ事務所に)送ります。

f:id:mitsumari_blog:20170811010550p:plain

この量しかも手書き。松子は知ってほしいの。

この大オチは実に秀逸で松子の常軌を逸する程の承認欲求の強さがコミカルかつ非常に的確に表現されていると感じます。

 

まとめ

この壮絶な物語を、この色使いでこの世界観で、時にコミカルに時にはMVのようなスタイリッシュなテンポの良い場面展開で、壮絶なリアリティとその対極にあるファンタジーを絶妙に織り交ぜて描ききった中島哲也監督

f:id:mitsumari_blog:20170811011209p:plain

↑これからの、まさかのこれ↓のコントラスト

f:id:mitsumari_blog:20170811011449p:plain

僭越ではございますが、称賛の意をこめて以下の言葉を献上いたしたいと思います。

 

『狂ってる』

 

f:id:mitsumari_blog:20170811005543p:plain

f:id:mitsumari_blog:20170811005358p:plain

f:id:mitsumari_blog:20170811010112p:plain

f:id:mitsumari_blog:20170811013341p:plain

この、愛されたかったのに愛されなかった愛すべき松子の一生

ここまで読んで下さった方がもしいたならば、大オチを知ってしまったかと思いますが、文章では描き切れない部分が多分にある作品ですので、興味が沸いた方がいらっしゃれば是非。

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて~元不登校の人間より、周囲の人達へ~

 

人間って本当は夜行性じゃないのかなと密かに思っているみつまりですどうもこんばんは、初めましての人は初めまして。

こちらのブログは現在絶賛不登校中もしくは超絶引きこもりまくりな貴方や不登校のお子さんをお持ちの貴方、自分も昔不登校だったよっていう貴方に向けて書いています。

本日は、当ブログのサブタイトル

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

についてお話したいと思います。

 

9月1日は『子どもの自殺が一番多い日』という事を皆さんはご存知ですか?

futoko.publishers.fm

www.huffingtonpost.jp

 
これらの記事によりますと、毎年9月1日に100人以上の子どもが自殺で亡くなっているとの事。

それがいじめによるものなのか機能不全家族なのか虐待なのか、何が理由かは明確にされていませんが、原因が学校の登校日初日である事は間違いありません。

私がこちらのブログを開設したのは

自分の命を懸けてまで学校に行きたくないと考えている人の気持ちが分かるからです
私もそうでしたから。

 

学校に行かない

 

たったそれだけの選択・行動で、その子を取り巻く環境の大きな変化、周囲の無意識に発せられる心無い言葉に呑まれ、本人に対して手のひらを返すような周囲の人達の対応に深く傷付き自らの命を天秤にかけてしまう程追い詰められる状況というのが本当に存在します。 

 

不登校の人と対峙した大多数の人がまず考える事は
『なぜ行きたくないのか』『なぜ行けなくなったのか』『どうすれば行けるようになるのか』という事かと思いますが

本人も周囲の人もまずは「登校」や「通う」や「学校」という言葉から解放される事が先決です。

 

多くの保護者がこのような事を言います

(そうは言っても、もし学校から離れる事でそのままずるずる引きこもりになったら・・・)

(学校行かないと将来絶対苦労すると思うし・・・)

(親として子どもの幸せを考えるなら無理にでも学校に行かせるべき)

これらの言葉は、笑い話の一節『健康の為なら死んでもいい。』を本気で言っているのと同義だと私は感じます。

『将来の為に今死ね』と言っているように聞こえます。

冒頭にご紹介した記事にある通り、自殺者数が数字となって証明されているのが現実です。

 

子どもはまず、家庭というコミュニティで社会の第一段階を学びます。その第一段階の世界がほぼ全ての子どもにとって、親の言葉の影響力は絶大なるものです。

学校に行かない事に関して親に気苦労を掛けるだろう事くらい本人は十分なほど分かっています。態度に現れていないように見えても、心の中は痛いほど、それこそ死にたくなる程理解していると思います。現時点で色々な事が上手くいっていないのですから、将来に対する不安だって底無しです。

そこへ「学校に行かなければ将来経歴に傷が云々、そんなに親を悲しませて何がしたいの云々、あなたの為に云々」という言葉がけは、傷に塩を刷り込むどころか抉るようなもの。

本当に子どもが死んでしまっても良いのですか? 

これを読んで下さっている方がもし不登校になっている子の親であるなら、お子さんが生まれた時を思い出してください。

私は子どもを産んだ経験が無いので、想像でしかない上に差し出がましい物言いかも知れませんが、お子さんを出産した直後の気持ちは『生まれて来てくれた』その事実だけに感動し、感謝し「とにかく無事に育ってくれさえすれば」みたいな事を考えませんでしたか?

しかし今はいかがでしょう

「とにかく無事に育って(そして優しく、明るくという程ではなくても良いけどなるべく陰気ではない感じでなるべく健全な友達に恵まれ人を傷つけず迷惑もかけず非行に走らず学校に行き適度に運動もして身心ともに健康で出来れば大学まで出て安定した職に就き自立して適齢期に結婚をして孫の顔を見せてくれて出来れば自分達の老後には多少介護的な事をして)くれさえすれば」じゃないですか?

子どもが死んでしまってはじめて「ただ無事に生きてくれてさえいれば」と思っていた気持ちを思い出しても遅いのです。

とはいえ私の親は、こちらの記事にも書いた通り

onorenomai.hatenablog.com

『学校行かないくらいなら死んでくれた方がマシだ』と本気で思っていたようですし、今も恐らくそのような気持ちなのかなと思いますので本気でそう思うなら否定はしませんが・・・。

 

当ブログのサブタイトルを『「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて』にしているのは、その様な理由からです。

外がなんかスコールみたいになってる

外が今日のような荒天の日は「家に居る大義名分が出来るので安心する」けど、こういう日に限って職場なうな元不登校児だった引きこもり気質のみつまりですこんばんは、初めましての人は初めまして。

本日の大阪は台風5号が上陸しまして外がスコールみたいになってます、大阪って地震も災害も殆ど無いのでこんな台風珍しいです。
という至極どうでも良い事をあんたはわざわざこちらに書きに来たのかと問われたら「ええそうです」としか言いようが御座いませんすみません。

ついでと言っては何なのですが、今一度こちらのブログの趣旨を説明させていただきますね。

こちらのブログは20年前に学校へ行かない道を選択した私が自身の不登校の体験談を語るブログです。

が、思いついたり思い出した事を順不同で掲載しております。
その為、初めに簡単な経歴を書いただけで「不登校になった詳細な原因」や「そこからどういうきっかけで再び外に出る様になったのか」等まだ書けていないし、それ以外の事も思い出した順に自由に書いていく予定ですが、ゆるゆるとお付き合いいただければ幸いです。

それでは、関西地域で今からご帰宅される同士の皆さんの健闘を祈ります。家に引きこもっているかたは応援よろしくお願いします。

ジークジオン!

現在の30代は『不登校経験語り部第一世代』じゃないのかなーなんて事を

おこがましいながらも考えているみつまりですどうもこんばんは。

初めましての人ははじめまして。 

私が不登校になった20年前と現在とでは、一つ大きく異なる点があります。

不登校を経験した大人の存在』です。

すなわち私が10代当時に30代以降だった方々の事です。

私が不登校になった15歳の頃は、まだインターネットの無い時代でしたが、その前身となるパソコン通信で知り合った多くの大人達の存在に助けられました。

「画像も音声も送れないどこの誰だかすら分からない活字のみでしか伝え合えない」という限られた世界の中で、不登校に理解を示してくださり案じてくれる人達に巡り会えた私は、逃げ場のない家の中に唯一の心の拠り所を作る事が出来ました。

なにぶん子どもだったので具体的な事まではあまり覚えていないのですが、それはまさに九死に一生を得た思いでしたうきぴーさえさんそして東海林さん、ありがとう。

中でも特に親しくしてくださっていた方とは、20年経ってパソコン通信というサービスが無くなった現在でも現実世界で繋がっています。

しかし、身近に「自分も昔は不登校だったけど、現在こんな風に何とかやっているから君も大丈夫だよ」という風に話してくれた不登校経験者の大人との出会いは、18歳で通信制高校に入学するまで恐らく殆どなかったような・・・

とにかく前例が無い。仮にあったとしても、こんな風に気軽に情報を発信したり閲覧したりできる媒体がそもそも無かったので情報が共有されない。

その為本人も周囲の人もその選択肢を選んだ先に何があるのか分からない。

だから盲目的に「とりあえず学校へ行くことは正しい事だ」と考えていたような気がします。

現代で言うと何でしょう…良い例えが思いつきませんが、語弊を恐れずに言うならば整形とかレーシックみたいな感じでしょうか?

歴史が浅いから20年30年後にどうなるかは誰にも分からず、それを誰かが試して数十年の時を経て予後が順調である事が実証されて初めて受け入れられる、みたいな。

そんな時代に前代未聞の不登校という道を選択した私達がそこそこ社会経験を経て子どもを持つ親くらいの年齢になったタイミングで、こうして発信媒体までが整った現代は、私の時代には無かった現在進行形の人に「経験者として」寄り添う事が出来る時代だなと感じます。

「私達も貴方と同じように学校に行かない道を選択したよ、物珍しい目で見られたり周りの人に凄く反対されたりもしたよ。でも、今こうして元気で平和に生きてるよ。だから、貴方がもしそちらの道を選んだとしてもきっと大丈夫だよ。」

という様な事を身をもってお話出来るのは、やはり当事者にしか出来ない事だと思うのです。

実際、ネット上ではその様な発信をしている人達が既に沢山いらっしゃいます。

例えばこちらとか

www.futoko.org

この様なクラウドファンディング

readyfor.jp

全国で、不登校経験者が同じ思いをしている人の支えになりたいと声を上げています。

もちろん私も、ささやかながらそのような想いを持つ一人です。

『不登校=親が甘い』という考えが甘すぎる件 ~不登校サバイバー~

高校球児は評価されるのに不登校児が評価されない事に納得いかないみつまりですどうもこんばんは、初めましての人は初めまして。

 

大人になった現在、たまに「昔学校に行ってなかった」という話をすると、学校行ってた派のうち半数くらいの人から
「うちの家は厳しかったから、そんなことしたら叩いてでも引きずってでも外に出されて学校行かないなんて絶対許されなかったと思うわー(笑)」

という反応が返ってくるのも、前回の冒頭に記した元不登校あるあるの一つかなと勝手に思っています。

一応私も社会性を備えましたので、そういう反応を頂いた時は大体
「そうなんだー学校行くのも楽じゃないんだねあははははwwwwwwwwww」

などと返す訳なんですけれども

うちの両親も間違いなく
『学校行かないなんて絶対許さない』という人達でした。

 

学校行かないと宣言した最初の頃は、親に泣きながら私の服や髪を文字通り掴んで引きずり回されましたし、私が学校へ行かなくなって一ヶ月で父親は真っ黒だった髪が真っ白になったし、母親には「学校に行かないくらいなら死んでくれた方がマシだ」とか「貴方がそんな風になったのはお母さんの責任だから一緒に死のう」と言われて寝込みを襲われ本気で殺されそうになった事もありました。

 

それでも私は行かない方を選びました。

 

両親に苦労を掛けた事は今でも申し訳なく思います。

私は両親の事が嫌いなわけではありませんし、もちろん心配などかけたくありませんでした。

私には兄弟がいない為、家族といえば父と母のみ。たった3人のかけがえのない家族、両親にとってはたった一人の娘です。

それなのに、そんな親不孝を好んでする訳がありません。

当時は、自分が不登校になった事そのものよりも、目の前で悲しんでいる両親の姿を見るのが何よりも辛い事でした。


しかし20年経った今になって思うのは

私がただ学校に行かなかっただけで親がなぜそこまで絶望にくれる必要があったのか。

ごめんねと泣きながら寝込みを襲う親まじサイコホラー。

 

言いすぎましたすみませんごめんなさいもちろん今でもかけがえのない家族に変わりはありません。

ですが、それにしても『学校行かないくらいなら死んでくれた方がマシ』って今改めて考えると凄まじい発想じゃないですか?


学校に行かない事は死に値するほど罪深く不幸な事なんですか?

 

冒頭の「うちは厳しかったから〜」と話していた人も、厳しさゆえに『学校へ行かなかったら殺される』という事を本能的サバイバル能力で察知していた為学校へ通っていたのでしょうか?

それとも私は殺されかけたけど死んでいないので、うちの家庭はやはり甘かったのでしょうか?

 

なんて疑問を投げかけてみましたが、答えは明白。

親の甘い厳しいなど関係ありません。

不登校の背景に家庭の機能不全がある事例の多い事は重々承知しています。

でも、家庭の事情や理由が何であれ、学校へ行かない子は行かないし行く子は行きます。

そしてそれのどちらが良いでも悪いでもなく『本人が選択した道』ただそれだけの事です。

 

しかし親が我が子を殺そうと考えるまで追い詰められるのは「学校に行かない=皆と同じ事が出来ない=普通ではない=異常=排除」みたいな連想ゲームのような固定概念が個人の頭の中に出来上がっている事、そしてその固定概念で親まで一括りにして評価されてしまう事にあると私は考えています。

自分や我が子や他者を前述したような理由で評価する事は、時と場合によれば自分自身の首を絞める事にも繋がります。

多数派に属している時には気付かなかった無意識の評価は、立場が変化した途端、回り回って自分を追い詰める結果になります。

私は過去「自分自身が順風満帆な人生を送ってきたのに子どもが突然不登校になって非常に混乱している」という保護者のお話を何度も聞いた事があります、私の両親もそのケースだったのだろうなと、今では思っています。

 

そして、この様な状態に陥っている家庭は現在無数にあると私は考えています。

色んなケースがあると思いますので一概には言えませんが、当時の私は少なからず不登校サバイバーだったと思います。

学校に行きたくない人、学校に行っていない人へ ~元不登校の大人より~

夏休みのシーズンやGWになると『学校に行きたくないあなたの事を考えてソワソワする』のは元不登校児あるあるなのではないかな

などという事をいつも考えているみつまりです、どうもこんばんは。

初めましての方は初めまして。

こちらのブログを開設して早々迷走していましたが、方針が決まりましたのでブログタイトルを変更します。元のタイトルは忘れてください

と書いたところで多分鴨おじさん様以外の人は見ていないと思うので、わざわざ報告するまでも無いかも知れませんけど(鴨おじさんありがとうワスレナイ)

タイトルにある通り私は元不登校児です。

年齢は30代後半(2017年現在)性別は女性の異性愛者です。

不登校になったのは中学3年生の1学期
ざっくりと、不登校になってから現在までの経歴をご紹介しておきます。

 

みつまり経歴

15歳:不登校デビュー
16歳:私立だったのでそのまま高校進学するも学校行かず1年休学
17歳:高校中退。秋頃からアルバイトを始める
18歳:アルバイトと掛け持ちしながら通信制高校に入学
21歳:通信制高校卒業。情報処理系の専門学校に進学
22歳:専門学校卒業。IT企業に就職
24歳:なんやかんやあって全然畑の違う福祉分野の保育士を目指す
27歳:独学で保育士資格取得
28歳:結婚 知らない土地に引越す
31歳:アルバイトを始める
35歳:なんやかんやあって離婚

                                                              

離婚はしたものの、実家には戻らず
現在は、元夫はもとより元夫を介したご縁から28歳で引越した先の地域で暮らす障害当事者や地域の障害福祉(身体・知的・精神)関係者の人達、特に自立支援の活動家達との繋がりに支えられ、結婚当時から勤めていた職場で引き続き働きながら、生まれて初めての一人暮らしを楽しんでいます。

15で学校行かなくなって17でバイト始めてるので、不登校期間は約3年ほどといったところですね。

意外と不登校だった期間って短かったんだなと、こうして文字に起こしてみて初めて気付きました。 

しかしですね、この「不登校だった約3年間」には、それなりに色んな事があったんですよ。

こちらのブログでは、自身の不登校にまつわる過去の出来事についてゆるゆると書いて行ければと考えています。

私は30代後半に差し掛かった現在、個人的には『学校に行かなくて本当に良かった』と思っています。

人生の王道レールから外れ意図せず親を泣かせ時に殺されかけ社会から排除され少数派として好奇な目で見られた経験は、大多数の人が絶対に経験できない大変貴重なものだと感じているからです。

そしてその経験は、現在同じ思いをしている人の心に寄り添えるものかもしれないなと思うからです。経験した者にしか分からない事というのは本当に沢山あります。

そんな私の体験談が、今現在不登校の人やその周囲の人達の心を揺り動かすちょっとしたきっかけにでもなれば、と、僭越ながらそんな事を考えています

最後に、なんかもう何もかもを考えるのが嫌になった時にふと手に取るとフフッてなる漫画のご紹介をもって本記事の終わりのご挨拶とさせていただきます

AdBlock入れてる人は解除してね