20年前不登校だった私が体験談を語るブログ

「行きたくない」を「生きたくない」に置き換えて

『友罪』薬丸岳 読書感想文

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もしも親しくなった友人が少年の頃に人を殺していたと知ったなら…それが過失ではなく残虐なものであり、犯罪当初は愉快的で猟奇的な思考のもとに行われたものだったなら…

人を殺めてしまった人が「生きていく事で償う」ことの本当の意味とは

殺人事件の加害者と意図せず友人や恋愛関係になった人達の目線から描かれる様々な人間の苦悩の物語

数十年ほど前に起きた神戸の事件を彷彿とさせる内容ではあるけれど、著者は解説のインタビューにおいて「あの事件とは全く違うと強調しておきたい」と語っているため、あくまでフィクションとして描かれたもののようである

近しい人が犯罪者と知った途端好奇と敵意の目を向け手のひらを返す人、反射的に嫌悪感を抱きながらも果たしてそのような形で切り捨てるのが最善策なのかと逡巡する人

後者にあたる友は、自身も過去に大きな後悔や罪悪感を経験し今もなおその思いから逃れられずにいる

彼と最も近しいという立場により周囲から様々な意見をぶつけられ、自身も大きく揺れながら、根底の部分で抱えている葛藤が彼の中で他者を排除する事にブレーキをかける

この作品はタイトルの通り友の罪に対して葛藤する主人公の視点で描かれているため、加害者少年の内面はあまり描かれていないのだけれど

自分がもし主人公と同じ立場に遭遇したならどう感じどんな行動をするのだろう、もしくは恋人なら、家族なら、同僚なら、マスコミ関係者なら…

などと読み進めながら考えてしまうように、加害者を取り巻く周囲の様々な視点が描かれている

「生きていく事で償う」ことの本当の意味とは、生きる中で嬉しい事や楽しい事や幸福感を経験した時、それと同時に「被害者達から自分はその全てを奪ってしまったのだ」という気付きを得る事なのだろう

そして加害者がいつかそのような気付きを得るためには機会の場が必要で、その機会を作れるのは皮肉なことに生きている人間しかいないのである