『コンビニ人間』村田沙耶香 - 社会不適合者の内側から見た景色 -
23年前不登校を生業としていたみつまりですどうもこんばんは。
本日は、表題『コンビニ人間』の感想を記事とさせていただきます。
この本は、社会の多数派になれない女性と男性、両方の視点を通して現代社会を描いた作品です。
不登校・ひきこもり・ニート・対人関係が苦手・トランスジェンダー・障害等、社会から「異質なもの」として視線を向けられた・向けられそうだと感じながら回避してきた経験のある人は、少なからず共感できる部分があるのではないでしょうか。
世間で言われるところのいわゆる社会不適合者を誇張して、文学に昇華させた作品ですのでとても読みやすいのですが、描写が中々容赦ないです。
特に私は著者・作中の主人公とちょうど同い年で境遇や考え方もよく似ている為、良いんだか悪いんだか非常に引き込まれました。お読みになる際はご注意ください。
『コンビニ人間』村田沙耶華
多様な社会
個性を認める
ありのままの他者を受け入れる
なんていうキーワードを最近良く耳にするけれど
これには大きな矛盾がある
揺るぎない暗黙の了解として、枕詞に
「常識の範囲内で」が付くから
そして、この枕詞の範疇から溢れる人の
「ありのままの個性」は
周囲から矯正を強いられ
更生のレールを敷かれ
矯正がままならなければ
あっさり排除される
排除された個性は、時にカリスマ性を生む事もあれば、個人の命を奪う事もある
以下『棒人間』歌詞引用
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「僕は人間じゃないんです 本当にごめんなさい
そっくりにできてるもんで よく間違われるのです
(中略)
何度も諦めたつもりでも人間でありたいのです」
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生き辛さを抱えた棒人間は、最後の最後に
「それでも僕は人間でありたい」と主張する
けれど
コンビニ人間は
「コンビニでありたい」のです
いつだったか、側溝に侵入し
人を覗き見していた人が逮捕された時
その人は
「生まれ変わったら道になりたい」
と述べたという
コンビニなのに、道なのに
人間を強いられて
人間と同じ生き方をしろと言われ
さぞかし大変な思いをしたのだろう
コンビニ人間も、道になりたい人も
人間の形で生まれて来なければ
心穏やかに社会に馴染めていたのかもしれない
今はまだ、世界はそういう風にできているから。